東京事変のアルバム「スポーツ」に収められている「乗り気」という曲の中で、以下のような歌詞があります。
読みかじった文字面と、視たままの数字を覚えて、知った気になっているようじゃ今日も丘サーファー…。波の所為にはしたくない。
これはなぜでしょうか?
おそらく前提として、「分かる」とは、文字や数字を知っていることだけがすべてではない、ということがあると思います。
では、「分かる」という状態になるには、文字や数字以外にどのような要素が必要なのでしょう?
たとえば、サーファーの場合だと、波に乗る時のバランス感覚や良い波の判断、といったところでしょうか。これらは、なかなか言葉で正確に表すことはできませんし、サーフィンを実際にやってみないと、身に付かないことのように思います。
このように言語化されていない知識は、暗黙知と呼ばれています。
ビジネスの世界では、現場の職人さんだけがわかる勘とか、営業マンのコツやノウハウといったものがそれらにあたります。
日本の企業では、これらを代々先輩から学び、受け継いできました。
ただ、この仕組みが成り立つには、
①暗黙知自体が一定期間有効であること。(ビジネスの勝ちパターンがある程度固定化していること)
②暗黙知を持っている人と受け継ぐ人が長い間その会社に勤めていること、
の2つの前提条件が必要となります。
しかし、ITの発達により、ビジネスのスピードが高速化し、パラダイムシフトが起きやすい環境になったことで、前提①が崩れ、さらに雇用形態の多様化と人材の流動化によって前提②が崩れてきてしまいました。
そこで、この暗黙知を形式知化(言語化)しようという取り組みがされています。それが、ナレッジマネジメントという分野です。今までの勘・コツ・ノウハウといったものを言語化して共有しよう、という取り組みです。
でも、どこまで言語化すればよいのか、そもそも言語化できるものなのか、という問題がここで発生します。
実際、すべてを言語化するというのは、量と質の両方から不可能に近いと思います。となると、重要なポイントは、絞り込み、つまり、いかに決定的に重要な要素を特定して、それを共有するかという点になります。しかもそれが可能なのは、おそらく上記前提①を満たす暗黙知だけに限られるでしょう。(勝ちパターンが素早く変化する環境では、ポイントを抽出した時点で、それはすでに勝ちパターンの要素ではなくなっている可能性がある)例えば、製造方法とか、文書の書き方とか。
そうなると、暗黙知の形式知化には限界があり、経験というものは、非常に重要だということになります。
やっぱり陸サーファーじゃダメなようです。
*将来、人間の感覚が全て数値化され、さらにそれが常にモニタリングできた場合、ある目的達成に相関性の高い要素を自動的に抽出できるようになり、暗黙知の形式知化が可能となるかもしれません。しかも、その結果を人間の感覚にフィードバックできれば・・・。おっと、でもそこまでいくと、既に人間ではなく、ロボットになってしまっていますね。こんなことができるようになった時代には、人間とは何かという論争が起きているかもしれません。(そもそも、仕事をする必要がなくなり、形式知化する必要もなくなる可能性もある)
でも、人間とは何か、という哲学的テーマなんて古くから考えられていることですよね。
読みかじった文字面と、視たままの数字を覚えて、知った気になっているようじゃ今日も丘サーファー…。波の所為にはしたくない。
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これはなぜでしょうか?
おそらく前提として、「分かる」とは、文字や数字を知っていることだけがすべてではない、ということがあると思います。
では、「分かる」という状態になるには、文字や数字以外にどのような要素が必要なのでしょう?
たとえば、サーファーの場合だと、波に乗る時のバランス感覚や良い波の判断、といったところでしょうか。これらは、なかなか言葉で正確に表すことはできませんし、サーフィンを実際にやってみないと、身に付かないことのように思います。
このように言語化されていない知識は、暗黙知と呼ばれています。
ビジネスの世界では、現場の職人さんだけがわかる勘とか、営業マンのコツやノウハウといったものがそれらにあたります。
日本の企業では、これらを代々先輩から学び、受け継いできました。
ただ、この仕組みが成り立つには、
①暗黙知自体が一定期間有効であること。(ビジネスの勝ちパターンがある程度固定化していること)
②暗黙知を持っている人と受け継ぐ人が長い間その会社に勤めていること、
の2つの前提条件が必要となります。
しかし、ITの発達により、ビジネスのスピードが高速化し、パラダイムシフトが起きやすい環境になったことで、前提①が崩れ、さらに雇用形態の多様化と人材の流動化によって前提②が崩れてきてしまいました。
そこで、この暗黙知を形式知化(言語化)しようという取り組みがされています。それが、ナレッジマネジメントという分野です。今までの勘・コツ・ノウハウといったものを言語化して共有しよう、という取り組みです。
でも、どこまで言語化すればよいのか、そもそも言語化できるものなのか、という問題がここで発生します。
実際、すべてを言語化するというのは、量と質の両方から不可能に近いと思います。となると、重要なポイントは、絞り込み、つまり、いかに決定的に重要な要素を特定して、それを共有するかという点になります。しかもそれが可能なのは、おそらく上記前提①を満たす暗黙知だけに限られるでしょう。(勝ちパターンが素早く変化する環境では、ポイントを抽出した時点で、それはすでに勝ちパターンの要素ではなくなっている可能性がある)例えば、製造方法とか、文書の書き方とか。
そうなると、暗黙知の形式知化には限界があり、経験というものは、非常に重要だということになります。
やっぱり陸サーファーじゃダメなようです。
*将来、人間の感覚が全て数値化され、さらにそれが常にモニタリングできた場合、ある目的達成に相関性の高い要素を自動的に抽出できるようになり、暗黙知の形式知化が可能となるかもしれません。しかも、その結果を人間の感覚にフィードバックできれば・・・。おっと、でもそこまでいくと、既に人間ではなく、ロボットになってしまっていますね。こんなことができるようになった時代には、人間とは何かという論争が起きているかもしれません。(そもそも、仕事をする必要がなくなり、形式知化する必要もなくなる可能性もある)
でも、人間とは何か、という哲学的テーマなんて古くから考えられていることですよね。

