神野山の南東の麓にある山添村助命(ぜみょう)集落。現在、集落中央部の番屋の辻と呼ばれる場所に道標が立っている。道標の3mほど右には「見守り地蔵」と呼ばれる磨崖仏がある。




昼間は文字が読みづらい光線状況だったため別の日の夜にライトアップして撮った。正面(現在の南東面)には、梵字「カ」の下に「右は いせみち也 左は はた天王道」と刻まれている。「者(は)」「せ(世)」「は(八)」などは変体仮名。



現在この場所は四つ辻になっているが昔は西向きの丁字路だった模様。この道標は、元は80mほど北東の旧道の分岐に西を向いて立っていたと推測している(図参照)。図の旧道の道筋については古地図や昔の航空写真などを参考にしているが、推測も含んでいる。

元位置と推測する分岐から右(東)へ行く道は「いせ道」(伊勢古道)で、山添村の岩屋を経て美旗新田に至る。美旗新田からは青越伊勢街道(伊勢北街道・初瀬街道)が伊勢へ通じている。「いせ道(伊勢街道)」と呼ばれる道は東山中に数多く存在するが、この「いせ道」は旧田原村と旧東山村の境にある檜峠を越えて奈良と伊勢方面を結んでいたのだろう、おそらく。

分岐を左(北)へゆけば西波多(上津)から水間街道に入って「波多の天王さん」で知られる中峰山の神波多神社へ通じている。この道は初瀬・榛原(萩原)・都祁方面からの神波多神社参詣道としても利用されていたのだろう。



左面と裏面に文字は見られない。



真上から。



右面。この道標は自然石の正面と右面の2面のみを平らに削っていることから、右面にも文字がある可能性はあるが、取材当日は掃除して確認していなかったので次回の宿題ということで。



東側から。現在県道の四つ辻になっているが、昔は西向きの丁字路だったようだ。



北東側から。



地蔵には見えない「見守り地蔵」。見守り地蔵についてはこちらの記事(愛しきものたち 「山添村 助命(ぜみょう) 番屋の辻観音石仏」)を。



助命は山添村探検の基地(出発点)としてよく利用していた思い出深い地。2019年に村内の約250kmの古道を歩いて40基の道標を調べた。地図の黄色のラインは2019年に歩いた山添村内の旧道古道。歩きたい道はまだまだあって道標調査の漏れもたくさんあると思うが、多くの道標と古道に出会った楽しい旅だった。また行きたい。



最後にマニア向け?の道標と辻の夜景写真。今後なにか分かれば追記・補筆していく。


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・各面の内容 

[南東面]_(梵字・カ)、右は(八)、いせ(世)みち也、左は(八)、者(は)た天王道 
[北東面]_文字なし? 
[南西面]_文字なし 
[北西面]_文字なし 
(「者(は)」「せ(世)」「は(八)」は変体仮名) 


寸法 : 高約65cm×幅約24cm×奥約15cm 


助命集落旧三叉路・見守り地蔵横(いせ道(伊勢古道)・天王道) 



●大きな地図で見る 


<2024/8/1 初投稿>