行基の開創と伝わる多田来迎寺の入口横手に道標がある。近隣から移されたものだろうか。道標の上に石が積まれている。



[北東面]_(中央) 向坂政…、(右端) ……文字あり 

「向坂政…」は施主(願主)名だろう。右端にも文字列らしきものがあり、「ら」のような文字が見える。



最下部の「政」の文字。



裏側が道標になっている。




[南西面]_右、かさ…(笠間か笠置?)、てんの(天王)…(道?)、左、山…(道?) 

「てんの(天王)」は「波多の天王さん」として古くから多くの信仰を集める神波多神社(山添村中峰山)のことだろうが、右行は「かさ…」以下が埋没していて笠間なのか笠置なのかは分からない。ちなみにこの辺りからだと笠置へは染田や小倉から笠置街道が、笠間へは伊勢街道が通じている。

左行の「山」はおそらく地名ではなく「この先は山(山道)」の意味で、本道ではないことを示す「むら道」「さと道」「在所道」などと同じ意味合いのものだと思う。「右 ○○ 左 山」などと書かれた道標は県内にいくつか存在する。

「山」の下、もしくは中央最下部に「みち(道)」などの文字があるかもしれない。あまり掘るのもなんだが、少しだけ掘って確認すればよかった。



[北西面]_文字なし? 

横に灯籠の一部(請花か反花だろうか?)のようなものが置かれているが、道標となにか関係あるものなのだろうか。



[南東面]_文字なし? 







西側から。来迎寺は伊勢街道(堂ヶ谷街道・五ヶ谷街道・都祁山古道)から少し南にそれた場所にあり、街道からは東側と北側と西側の3つの参道が通じている。それぞれの参道入口には来迎寺を示す道標(来迎寺公民館前琴平大神北三叉路、来迎寺北丁字路(寺号標))が置かれている。



東側から。



北西側から。



写真奥は伊勢街道沿いの来迎寺集落。また何か分かれば追記していく。


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・各面の内容 

[南西面]_右、かさ…(笠間か笠置?)、てんの(天王)…(道?)、左、山…(道?) 
[北東面]_(中央) 向坂政…、(右端) ……文字あり 
[北西面]_文字なし? 
[南東面]_文字なし? 



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<2024/7/8 初投稿>