菅生集落の南はずれの四つ辻に立つ寛政12年の道標。 
[北東面]_北、てんの(天王)道 



[南東面]_東、いせ道 



[南西面]_南、は(者)せ道 
(「は(者)」は変体仮名) 



[北西面]_西、寛政十二天、…一月吉日?、施主、利?… 



北側から。



東側から。



西側から。






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菅生集落の「大井戸の杉」から伊勢街道を南へ400mほど行った四つ辻に寛政12年の道標が立っている。

この場所は水間街道の上津と葛尾・美旗新田(初瀬街道)を結ぶ伊勢街道(いせ道)と、都祁・宇陀方面からの神波多神社参詣道(天王道)、三ケ谷から都祁・初瀬へ通じる初瀬道との分岐点になるようだ。ちなみに山添村を含む東山中を通る東西道の多くが「いせ道」(伊勢街道)と呼ばれる。「いせ道」は「なら道」でもある。また中峰山の神波多神社へ通じる道の多くが「天王道」とも呼ばれる。

裏側(北西面)の文字などがちゃんと読めていないので次回への宿題。道標の詳細については今後少しずつ書き足していく。

この日(2019/11/5)、初めて山添村を道標探索目的で訪れた。助命から大塩・上津・下津をめぐり中峰山・吉田をまわって菅生・三ケ谷を経て助命に戻った。32kmほど歩いた。多くの道標と地元の人々に出合い、山添村の雄大さを体感できた一日だった。

以前調査した時の周辺図を貼っておく(↓) 下の大きな赤丸がこの道標の場所。図は推測も含む。




(取材日:2019/11/5・2019/12/8) 


参考地図: 
2万分の1地形図「名張」(明治25・27年) 
2万分の1地形図「月瀬村」(明治25・27年) 


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・各面の内容 

[北東面]_北、てんの(天王)道 
[南東面]_東、いせ道 
[南西面]_南、は(者)せ道 
[北西面]_西、寛政十二天、…一月吉日?、施主、利?…
(「は(者)」は変体仮名) 


建立年 : 1800年 (寛政12年) 


菅生集落南端四つ辻(伊勢街道(いせ道)・天王道・初瀬道) 



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