村屋神社の西の三差路の薮の中に道標がある。




ほぼ年中笹薮に覆われていて、一度強引に入り込んだりもしたが全体像はなかなか掴めなかった。



しかし最近、辺りの藪が払われて道標が姿を現した。



おかげで今回は傍から撮影することが出来た。道標際の切り株などをある程度処理してからの撮影。



西面には「左 龍田 ほうりうし」と刻まれているというが、半分ほどが埋没していて「左 龍… ほ…」しか確認できない。



こちらは2015年に強引に藪を掻き分けて撮影したもの。この写真のほうが文字は読みやすい。




続いて南面。こちらには「右 みわ はせ」と刻まれているらしいが、「右 み(三)…」までしか見えない。



東面。現状では文字などは確認出来ない。



南側から。



北側から。






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村屋神社(村屋坐彌冨都比賣神社)本殿の西側の三差路にある自然石道標。

ほぼ年中深い笹薮(女竹?)の中にあり、姿を現すことは稀。過去(2012年頃から)に20回ほど訪れているが直接道から確認出来たのは2015年の一度だけだった。しかし、今回は幸運にも藪が払われていたのでなんとか傍から撮影することが出来た。

西面「左 龍田 ほうりうし」、南面「右 みわ はせ」と刻まれているようだが(田原本の歴史・第4号(1985年))、現在は半分ほど埋没していて「左 龍… ほ…」「右 み(三)…」の文字が辛うじて読める状態。

ただ、この道標の設置場所が中途半端過ぎるように感じるが、移動されているのだろうか。それとも当時はこの辺りに村屋神社の出入口があったのか。現状三差路ではあるが西側からの道は古いようには思えない。この道標の妥当な設置場所としては村屋神社の南、一の鳥居の前あたりか。

大坂・王寺・箸尾方面から田原本・三輪へ通じる三輪街道(三輪方面からは田原本街道とも呼ぶ)は、村屋神社の北方の大木で巻向・笠方面へ通じる田原本街道と分岐し、村屋神社の南で橘街道と合わさって、その先の大泉でそれぞれ三輪、明日香方面に分岐していた。

また、龍田・法隆寺方面へはおもに田原本から法隆寺街道、箸尾から広瀬街道などで通じ、ここからだと大和川沿いに進むルートも近道になる。これらの道筋には龍田・法隆寺、三輪・初瀬双方を示す道標が多く残っている。

村屋神社を取り巻く大木・蔵堂・伊与戸・為川南方の一帯は、橘街道、三輪街道、田原本街道などの主要街道が交差しており、手持ち資料の情報を集約すると、かつては少なくとも8基もの道標が存在していたと思われる。

この道標については今後、補筆・追記していく。


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・各面の内容 

[西面]_左、龍…、ほ… (左 龍田 ほうりうし) 
[南面]_右、み(三)… (右 みわ はせ) 
[東面]_不明 
[北面]_不明  


寸法 : 高55cm×幅43cm×厚22cm 


村屋神社西三叉路 (三輪街道)



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