東井戸堂町の稲荷神社(藤丸大明神)の地蔵尊横に、道路拡張記念碑を兼ねた非常に珍しい道標が建てられている。(右端)
正面には「道路擴張 発起人 澤田定吉 顧問 森田千太郎」と刻まれている。
文字が見やすいように下から撮影したもの。「道路擴張 発起人 澤田定吉 顧問 森田千太郎」
北面が道標になっており、「右 丹波市 左 天理新道」と刻まれている。
西面には「大正十五秊(年)五月建」と刻まれている。
南面に文字は無い。
稲荷神社(藤丸大明神)境内から見た道標。
北方向。
南方向。左は稲荷神社前の布留川北流に架かる稲荷橋。
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八軒屋集落の東はずれにある稲荷神社(藤丸大明神)の地蔵尊横に立てられている。道路拡張碑を兼ねた非常に珍しい道標。
大正15年に道路拡張工事竣工を記念して天理教関係者によって建てられたものと思われる(当時の教義書に発起人の名が見られる)。県内にある(明治~昭和期の)道路改修記念碑は現在100基あまりを確認しているが、道標を兼ねたものは現在のところ他には見当たらない。
付近では河川改修が何度かなされているため道標(改修碑)は移動されているのだろう。元は現在位置のすぐ南側、布留川北流の稲荷橋の南詰あたりにあったとも考えられ、「右 丹波市 左 天理新道」とあることから、東方向への丹波市街道と北方向への道を案内していたと思われる。
左(北)への「天理新道」はどういった道なのかは不明だが、北へ進むと天理教本部への西からの参道でもある布留街道に直接出られるため、中街道の嘉幡、庵治方面や、橘街道の井戸堂から丹波市街道を通ってやってきた参拝客(信者など)を、教会本部へ誘導するには便利な道であると思われることから、天理教関係者らによって道路拡張工事がなされ、利便性が図られたとも考えられる。
碑には大正15年5月の銘があり、記銘の時期とは前後するものの、大正15年には天理教の教祖四十年祭(1月15日、20日、25日)が行われているので、それに合わせた工事だったのかもしれない。
ちなみに、旧丹波市駅前から東に伸びる天理新道(現在の市民会館北側の新道通り商店街)とは距離もあるため、名前は同じだが無関係だろう。
今後も取材を続けて追記していく。
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・各面の内容
[東面]_道路擴張、発起人、澤田定吉、顧問、森田千太郎
[南面]_右、丹波市、左、天理新道
[西面]_大正十五秊(年)五月建
[北面]_文字なし
建立年 : 1926年 (大正15年)
寸法 : [本体] 高155cm×幅78cm×厚44cm
[台石] 高30cm×幅128cm×奥68cm
稲荷神社前 (丹波市街道)
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<2024/2/21 補筆>