霊安寺町の「しこく道」道標です。五條市内に多く現存する大和新四国八十八ヶ所霊場巡礼のための道標のひとつです。袖から出た手が右を指差しその下に「し(四)」の文字が見えます。下半分は折れて無くなっています。



左側面には文字はありません。



右側面にも文字はありません。



裏面は無加工無処理です。



片手で持てるサイズと重さです。



寝かされていた時期。






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五條市内に数多く現存する大和新四国八十八ヶ所霊場巡礼のための道標です。

袖から出た手が右を指差し、その下に「し(四)」の文字があります。下半分は折れて無くなっていますが「しこく道」と刻まれていたと思われます。長さは倍以上はあったのでしょう。

現状ではおそらく、奈良県内の全道標中「2番目に軽い」道標だと思われます(どうでもいいランキング)。砂岩系の石で出来ており結構風化が進んでいます。山田町のしこく道道標など共に消滅が危惧されます。

江戸時代に主に現在の五條市域に開かれた大和新四国八十八ヶ所霊場(開創は元禄以前と言われる)は、幾度の再興を経て現在まで受け継がれています。霊場巡礼をナビケートしていた「しこく道」 道標は五條市を中心に現在100基近くの現存を確認しています。この道標も元々、大和新四国八十八ヶ所の札所である地蔵寺北のこの辻の辺りに立てられ、次の札所を案内していたもの思われます。

折損時期は不明ですが以前は建屋内の地蔵(台石道標)の傍らに折れた状態で置かれていました。また、建屋内の地蔵も砂岩系の石で出来ており台石が道標になっていましたが、風化が激しかったために2014年に地蔵・台石共々新しいものに置き換えられました。しかし道標としての内容は引き継がれており、記銘年はちゃんと(※)更新されています。(※作り直された場合に古い記銘年がそのまま使われる例もいくつか見られます) 

みんなで守ろう道標。


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・各面の内容 

[正面]_(右指差し)、し(四)…(下部欠損) 
[他面]_文字なし 



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