音羽山を越える古道沿いに道標が立っていました。
積もっていた枯れ枝を掃除すると全容が明らかに。こんなに長さがあったのか。
「左 くわ(王)ん音道(観音道) 文政六癸未年 施主 ウス林吉右衛門」 と刻まれています。音羽観音寺を案内するもののようです。
右側面に文字はありません。
裏側にも文字はありません。
左側面にも文字は無いようです。
西側から。
東側から。
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音羽山を越える古道脇に立つ文政6年の道標です。
正面には 「左 くわ(王)ん音道(観音道) 文政六癸未年 施主 ウス林吉右衛門」 と刻まれ、「音羽の観音さま」 として知られる音羽観音寺(善法寺)を案内しているものと思います。
この道は桜井方面から宇陀へ通じる古くからの道で、昭和の初め頃まで桜井からの物資を運ぶ道として使われていたとのことです。かつて道筋には多くの道標があったそうですがそのうちのいくつかは無くなってしまったようです。
本郷の登り口にも 「右 おとは(音羽) りうわう(竜王)」 と刻まれた音羽観音寺と竜王神社を案内している嘉永2年の道標があり、また、現在 「通行不能」 の看板が掲げられていますが、竜王神社から音羽山と五貫山の間の尾根へ登る旧道沿いや、旧道を登り切ったところにも観音寺を案内する道標があります。
現在この道は中腹まで谷筋に沿った林道になっていますが昔はずっと細い道だったことでしょう。おそらくこの道標のある位置のすぐ手前(東)あたりで山道が右手へ分岐していたと思われ、この道標も付近に転がっていたものを誰かが邪魔にならないこの場所に立てたのではないでしょうか。
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・各面の内容
[北面]_左、くわ(王)ん音道(観音道)、
文政六癸未年、施主、ウス林吉右衛門
[他面]_文字なし
建立年 : 1823年 (文政6年)
寸法 : 高67cm×幅17cm×厚21cm
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