旧奈良県高田総合庁舎跡地に建設された大和高田市の新庁舎が今月12日(2021/7/12)に全館共用開始された。
こちらは新庁舎の斜め向かいにある旧庁舎。「旧庁舎 58年間ありがとう」 の垂れ幕が掲げられている。
旧庁舎の敷地の片隅に道標が保存されている。
道標は旧庁舎敷地の北西角の、「国民の歌 <若い日本>」の碑(昭和40年1月15日建立)の右横に立てられている。碑の左側のものも道標(道標-B)と思われるが、こちらは下部しか残っていないようだ。
道標-Aの前にある四角い石は五輪塔の地輪部分か石仏の台座ではないかと思う。
道標-Aの全面を見て行く。正面(現在の東面)には 「右 神武帝御陵 道 たふのみね(年) よしの はせ(者せ) いせ」 と刻まれている。(「ね(年)」「は(者)」は変体仮名)
左面には 「すぐ かうや○ 左 な(奈)ら 郡山 道」 と刻まれているが、○の部分の 「上」 のような文字は 「山」 の異体字だろうか。(「な(奈)」は変体仮名)
右面には 「すぐ 大坂 左 たへま 道」 とある。
裏面には 「明治三年 午五月吉日 世話人 有井屋甚六 同 五良兵エ 中村屋伊八」 と刻まれている。
裏面の下部。泥をかぶっていたので掃除した。「有井屋甚六 同 五良兵エ 中村屋伊八」 と刻まれている。
旧庁舎は解体される予定のようで、これらの道標の今後の動向が気になるところだ。
●その後、旧市庁舎の解体工事が始まった。
旧市庁舎の解体工事が始まった。建物全体が防音防塵シートに覆われている。(2021/10/28)
許可を得て敷地内に入らせてもらう。(2021/10/28)
道標は「国民の歌<若い日本>」の碑や花時計などと共に移設保存される予定のようだ。立ち入り許可を得て撮影。(2021/10/28)
●その後、歌碑と共に撤去された。
旧市庁舎の解体が進んでいる。(2021/11/17)
道標-Aは「国民の歌<若い日本>」の碑とともに撤去されて敷地の東側に避難させられた。道標と思われる石柱(道標-B)とその他の残欠類はそのままだ。立ち入り許可を得て撮影。(2021/11/17)
その後も旧市庁舎の解体は順調に進む。(2022/1/9)
旧市庁舎跡は更地になった。道標-B(仮)とその他の残欠類のその後はこちらの記事で。(2022/5/17)
その1年後。旧市庁舎跡地では再開発工事が行われており、敷地の西端にスターバックスコーヒーの店舗が完成していた(2023.6.15オープン予定)。跡地にはスタバ以外に公共施設(公共車用平面駐車場、地域交流広場、駐輪場、倉庫、公共屋外トイレ)が出来る模様。(2023/5/26)
2023/6/15にスターバックスコーヒーがオープンした。跡地に出来る予定の公共施設の一部はまだ完成していないが、敷地の片隅には梱包が解かれた道標-Aが寝かされている。(2023/5/26)
●敷地内から撤去された。
2021年11月から2年余りの間、敷地の東側に移動されていた(ここ1年ほどは単独で転がっていた)が、この度、敷地内から撤去された。
現在、大和高田市郷土資料室(土庫)に移動されて保管中。
* * * * *
大和高田市の旧庁舎の敷地内に2基の道標(道標-A・B)が保存されている。
道標-Aには明治三年の銘があり、3面に案内先が刻まれている。文字の内容や案内先のスケール感、道標のサイズなどから、街道の主要な辻に立っていたものと思われ、元位置は當麻街道の現在の宮前橋辺りか領家集落南の辻辺りではないかと想像している(→のちに、元位置は領家集落南の當麻街道の四つ辻であることが分かった。元位置から撤去された後、一時期個人宅敷地内で保管されていたようだ。2023/8/31追記)。 根元部分の形状などから元は台石に乗っていたと思われる。旧庁舎は解体される予定のようで道標の今後が気になるところだ。(2021/7/20)
その後、旧市庁舎の解体工事が始まった。道標は「国民の歌<若い日本>」の碑や正面玄関前の花時計などと共に移設保存される計画のようだ。しかし現状では歌碑の内部が空洞になっているためにクレーンでの吊り下げ作業が難しく、作業方法を模索中とのことで移設場所も未定となっている。現在協議中のため移設は解体工事が終わる2022年3月以降になるかもしれないとのこと。(2021/10/28)
その後、道標-Aは歌碑とともに撤去され現在仮保管されている(2021/11/18)。また、道標と思われる石柱(道標-B)とその他の残欠類はその後も現場に残されていたが、更地となった2022/5/17にすべて撤去されているのを確認している。(2022/5/27)
その1年後。旧市庁舎跡地では再開発工事が行われ、2023/6/15に敷地の西端にスターバックスコーヒーがオープンした。跡地にはスタバ以外に公共施設(公共車用平面駐車場、地域交流広場、駐輪場、倉庫、公共屋外トイレ)が出来る模様。敷地の片隅には梱包が解かれた道標-Aが寝かされている。(2023/5/26)
2021年11月から2年余りの間、敷地の東側に移動されていた(ここ1年ほどは単独で転がっていた)が、この度、敷地内から撤去され、現在、大和高田市郷土資料室(土庫)に移動されて保管中。旧市庁舎敷地内にあったもう1基の道標と思わしき石柱(道標②(仮))とその他の残欠類(五輪塔の地輪部分または石仏の台座か)は、解体工事の際に処分されたようだ。また、道標とともに保存されていた「国民の歌 若い日本」の歌碑(昭和40年建立)は、さざんかホールに移設されている。(2024/4/2)
* * * * *
・各面の内容
[東面]_(中央) 右、神武帝御陵、道、
(右側) たふ?のみね(年)、よしの、
(左側) はせ(者せ)、いせ
[北面]_すぐ、大坂、左、たへま、道
[南面]_すぐ、かうや○(山の異体字か)、左、な(奈)ら、郡山、道
[西面]_明治三年、午五月吉日、
世話人、有井屋甚六、同、五良兵エ、中村屋伊八
※「ね(年)」「は(者)」「な(奈)」は変体仮名。
建立年 : 1870年 (明治3年)
寸法 : 高93cm×幅24.5cm×厚22cm
●大きな地図で見る
<2021/7/22 初投稿>
<2021/10/28 追記>
<2021/11/18 追記>
<2022/5/20 追記>
<2022/5/27 追記>
<2022/11/29 追記>
<2023/8/6 追記>
<2023/8/31 追記>
<2024/4/2 追記>