安倍文殊院境内の弘法大師像前に5基の道標が保存されています。江戸時代に文殊院境内に開かれた四国・西国霊場巡りのための道標と思われます。では右から一つずつ見ていきます。
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道標-A
[正面]_是ヨリ、右、西國三十三ヶ所…
[他面]_文字なし
道標-B
[正面]_すく(久)、四國八十八ヶ所…
[裏面]_すく(久)、西國三十三所
[他面]_文字なし
道標-Bにのみ、裏面にも文字が刻まれています。
道標-C
[正面]_是ヨリ、讃岐二十三ヶ所…
[他面]_文字なし
道標-D
[正面]_是ヨリ、土佐十六ヶ所
[他面]_文字なし
道標-E
[正面]_是ヨリ、伊豫二十六ヶ所…
[他面]_文字なし
弘法大師像とその背後には各霊場の本尊の石仏群。5基の道標は弘法大師像の左手にあります。
道標-Bにのみ、裏面にも文字が刻まれています。
入口に立つ「西国三十三ヶ所 四国八十八ヶ所 霊場」の碑(1868年・慶応4年)。
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安倍文殊院境内の弘法大師像前に集められた道標群です。
江戸時代に文殊院境内に開かれた四国・西国霊場巡りのための道標と思われ、境内霊場巡りが廃された後に各本尊の石仏とともに集められたようです。
四国八十八ヶ所は、讃岐国二十三ヶ所、土佐国十六ヶ所、伊予国二十六ヶ所、と、国ごとに道標が設けられていますが、何故か阿波国二十三ヶ所の道標が欠けており、所在は不明です。このようなしっかりした道標が残ることから、比較的規模の大きい境内遍路だったと思われます。
道標-Bにのみ、裏面にも文字が刻まれており、5基中4基に正面右上に「是ヨリ」と刻まれています。
また、弘法大師像の入口には、「西国三十三ヶ所 四国八十八ヶ所 霊場」 の碑(1868年・慶応4年)も残されており、5基の道標もこの頃に建てられたものと考えられます。この碑の施主に、宇陀平井屋(五良兵衛)の屋号が見られます。宇陀平井には丹波佐吉照信が手掛けた平井大師山の八十八ヶ所霊場があります。
また、弘法大師像前には 宝暦5年(1755年)のものと思われる道標 も文殊院近辺から移設保存されています。
※今回に限り、無刻面の写真は載せていません。
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・各面の内容
道標-A
[正面]_是ヨリ、右、西國三十三ヶ所…
[他面]_文字なし
道標-B
[正面]_すく(久)、四國八十八ヶ所…
[裏面]_すく(久)、西國三十三所
[他面]_文字なし
道標-C
[正面]_是ヨリ、讃岐二十三ヶ所…
[他面]_文字なし
道標-D
[正面]_是ヨリ、土佐十六ヶ所
[他面]_文字なし
道標-E
[正面]_是ヨリ、伊豫二十六ヶ所…
[他面]_文字なし
建立年 : 1868年頃? (慶応4年頃?)
寸法 :
道標-A : 高99cm×幅25cm×厚22cm
道標-B : 高90cm×幅25.5cm×厚20cm(根元部分25cm)
道標-C : 高90cm×幅24cm×厚23cm
道標-D : 高89cm×幅24cm×厚20cm
道標-E : 高88cm×幅25cm×厚21.5cm
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<2024/4/24 補筆>