記事をリニューアルしました(2022/5/26) 



北山から高家へ下る旧道(北山道)の途中に地蔵道標が祀られています。正面の地蔵右側には「右八(は) たふのみ年(ね) 北山道」、地蔵左側には「左 上は(八) さくらいみち 下は(八) 安部文し(志)ゆ(由)(安倍文殊)」と刻まれています。



地蔵右側の文字拡大。「右は(八) たふのみね(年) 北山道」 (※「八」「年」はそれぞれ変体仮名の「は」と「ね」) 


地蔵右側の文字拡大(別画像) 



地蔵左側の文字拡大。「左 上は(八) さくらいみち 下は(八) 安部文し(志)ゆ(由)(安倍文殊)…」 (※「志由」は変体仮名の「じゆ」) 



右側面には文字は無いようです。



左側面にも文字はありません。



裏側です。文字などは確認できません。



他の小石仏などを合わせて六地蔵として祀られています。



南側から高家・安倍文殊院方向。このすぐ下に右手に分岐する今井谷・桜井方面へ通じると思われる道がありますが道跡は途中から不明瞭になります。ご注意ください。





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北山から高家へ下る旧道(北山道)の途中に地蔵道標があり、他の小石仏などを合わせて六地蔵として祀られています。(ここから北山寄りに200mほど行った崩された尾根の上に古い墓地があります) 

北山集落と多武峰、桜井、安倍文殊院を案内しており、左は「上は(八) さくらいみち」「下は(八) 安部文し(志)ゆ(由)(安倍文殊)」とあり、この辺りでピークを北東へ回り込んで尾根筋を今井谷・桜井方面へ下る古い道が分岐していたと思われます。北西へ下れば高家集落に出て安倍文殊院に通じます。右(南東)へ行けば北山集落を経て増賀堂前へ至ります。(但し、この地蔵道標は六地蔵とするために他の小石仏などとともに近辺から集められた可能性もあります) 

桜井と安倍文殊院を別の道で案内していますが両到着地はさほど離れていません。こういったことは道標ではたまに見られ、奈良市石木町の登弥神社前の道標では京橋と玉造という3kmも離れていない目的地をわざわざ別の街道経由で案内しています。また、新庄の住吉一丁目にある道標は「高野山 吉野 壺坂」方面を、左右のどちらからでもどうぞ、と案内しています。

この道標のすぐ下の分岐を右に入って本当に今井谷まで下れるかを試みたところ、道跡は一部が不明瞭になっていましたが、300m余りで現在の地理院地図の破線道でもある旧道に合流し今井谷へ下ることができました。また、地理院地図には描かれていませんが、今井谷への旧道の途中から横柿集落の上(南)に出る旧道が分岐しており、そちらもしっかり通じています。


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・各面の内容 

[正面]_右は(八)、たふのみね(年)、北山道、
            左、上は(八)、さくらいみち、
            下は(八)、安部文し(志)ゆ(由)(安倍文殊)… 
[他面]_文字なし 


寸法 : 高58cm×幅33cm×厚21cm 



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<2019/8/2 初投稿>
<2022/5/22 補筆> 
<2022/5/24 補筆> 
<2022/5/25 写真更新・リニューアル> 
<2022/6/15 補筆> 
<2022/9/29 補筆>