生駒市谷田の地蔵堂の裏を覗くと、折れた道標が寝かされていた。



[正面]_左、寶生寺、
            施主、大阪…(北堀江?)、柏本清… 
※画像を左に90度回転させている。



[正面(下部拡大)]_施主、大阪…(北堀江?)、柏本清… 

右行は、字体が乱れているが「大阪北堀…(江)」ではないか。「大阪」の表記から明治以降のものの可能性が高い。大正から昭和の初めのものかもしれない。ちなみに明治期大正期には北堀江の地名は存在したようだ。



[右面]_文字なし 
[裏面]_文字なし 



天面。



断面。



谷田の地蔵堂。左手に観音寺への石段の登り口がある。



道標は地蔵堂の裏に寝かされている。



奥から。



観音寺の石段。 


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生駒市谷田の地蔵堂裏で道標で偶然見つけた道標。

この道標の第一の特徴は宝生寺(廃寺・生駒市俵口町)を案内している道標だということ。生駒市内で現存を確認している道標中、宝生寺を案内する唯一のものと思われる。


●宝生寺 

残念ながら宝生寺は現在廃寺になっていて現地には痕跡どころか当時の面影もまったくない。

宝生寺は緑豊かな場所だったようだが、周辺では1970年前後から宅地開発が始まり、1980年代にはすっかり住宅街となったようだ。それでも1994年の航空写真ではまだ本堂が確認できる。しかし2000年代に入ると宝生寺は消えており、この区画にも住宅が立ち並んだ。正確な廃寺年は今のところ不明。

航空写真の履歴は、国土地理院の 『地図・空中写真閲覧サービス』 などで見ることが出来る。


宝生寺跡地の現在。これは想像図。宝生寺はこの辺りにこんな風に建っていたのかも…。当時の境内には木々が生い茂り、周辺は畑と森が広がっていたようだ。

宝生寺についてはまた改めて調査するとして…、


●字体 

この道標のもうひとつの珍しい特徴としては、文字が隷書体風で書かれていることだ。

この字体、どこかで見た気がするが…思い出せない(道標ではないのかも)。でも確かに記憶にある字体だ。

近辺の道標で比較的字体の系統が似ているのは
・ 0335-生駒市壱分町の道標-1 (壱分町交差点角) 
・ 0000-生駒市谷田町の道標 (谷田町交差点東五差路) 
・ 0000-生駒市乙田町の道標 (ニケンギョ池北分岐) 
などだが、ヒントにはならなさそうか。


●元位置 

この道標は少なくとも10年近くこの場所に寝かされているようだ。

そもそもなぜここに折れた道標が置かれているのか? だが、いろいろ考えられる。

まず、遠くからこの地にわざわざ運んでくることはよほど縁のある地以外にはなかなか考えられないので、すぐ近くにあった可能性が高いと思う。

私は、この道標は元々この地蔵堂前の辻に立てられており、宝山寺から下って来た人々を古堤街道経由で宝生寺へ案内していたのだと思った。

宝生寺の廃寺により役目を失い放置されていたものが事故などで折れたため(または単純に撤去され)、目の前のお堂裏に一時的に置かれてそのままになっている、ということだと思う。 


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●禁牌石横の石柱 

地蔵堂裏の道標を見つけてから後日自宅で写真を見返していたところ、ちょっと気になるものを見つけた。

石段左横に立っている禁牌石の足元の石。石段に利用されているが他のパーツとは明らかに風体が違う。もしかすればこれは(地蔵堂裏の)道標の根元部分では?! 



禁牌石の右横にある石柱。





先記の理由で地蔵堂裏に置かれた道標だが、残りの下部は掘り起こされて石段(の補強)に借用されたと私は考えた。(以下「石柱」と呼ぶ) 


石柱は禁牌石などの一部とも考えられるが、

・ 立っている禁牌石は5面(天面含む)とも平面加工されているのに対して、道標と石柱は共に背面が山なりのでこぼこ。
・ 道標と石柱は共に寸法 [幅約18-19cm 厚み約17-18cm] に対して、禁牌石は [厚み約15cm] 。
・ とくに接合部は道標と石柱共に [幅約18cm 厚み約18cm] 。
・ 道標と石柱の長さの合計は約170cmだが、禁牌石と石柱の長さの合計は約200cmになり、太さの割には長すぎる。

以上のことから、石柱は禁牌石の一部(下部など)ではなく、形状的にはどちらかと言うと道標に近いことがわかる。


下図は石柱と寝かされている道標の2本を強引にくっつけて地面に立ててみた想像図だが、違和感はそれほどないような気がする。 



道標と石柱をつなげて地面に立たせたイメージ。完全な想像図(妄想図)。



しかし、単純にポキッと二つに折れたのではないにしろ、折れた断面の形状は合致しない。また、石柱のほうに見られる 「文字の一部のようなもの」 と道標の文字の位置が合わないことや、その他の痕跡も認められないことから、道標の下部だと言うには無理があるかもしれない。まったく違う石柱の下部という可能性もある。


この道標の詳細はわかり次第追記していく。

ではまた!





・各面の内容 

[正面]_左、寶生寺、
            施主、大阪…(北堀江?)、柏本清… 
[左面]_文字なし 
[裏面]_文字なし 
[右面]_文字なし 


建立年 : 不明 

寸法 : 道標 (長さ78cm×幅18cm×厚み17-18cm)
          石柱 (長さ92cm×幅18.5-19cm×厚み18cm) 


観音寺石段下・谷田地蔵堂裏 (古堤街道) 



●大きな地図で見る 


<2019/7/27 補筆>