記事をリニューアルしました(2022/6/28)
奈良市南永井町の春日若宮神社と南永井集会所の横にあるお堂の傍らに、「永井大師道」と刻まれた嘉永5年(1852年)の道標があります。正面(南面)には「(袖から出た手が右を指差し) 永井大師道」と刻まれています。
西面は「嶋屋?さき」でしょうか。
東面には「嘉永五壬子年九月…」と刻まれています。
裏側になる北面はちゃんと読み取れていませんが、「世話人 筆屋善七 麹屋藤?吉 千なり?とく」でしょうか。
頭頂部と指差し指示。
14体の石仏とともにこの場所に集められています。
北側から。
お堂内には数体の木像とともに(弘法)大師像が収められています。
南側から。右となりには南永井集会所。南永井集会所の前に春日若宮神社があります。
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奈良市南永井町の若宮神社と南永井集会所横にあるお堂の傍らに、多くの石仏とともに「永井大師道」と刻まれた嘉永5年(1852年)の道標があります。この道標は昔に石仏とともに近辺から集められたもので、70年ほど前にはすでにここにあったようです。
永井大師については不明ですが、道標がこの場所に移設されていることから永井大師(堂?)が南永井にあったことは間違いなさそうです。現在の春日若宮神社の境内にあったとも考えられます。南永井にはかつて大師講があったと聞きます。また現在このお堂内には数体の木像とともに木像の(弘法)大師像らしき像も収められています。
元は上街道筋(登坂集落や富池南東角のあたりか?)や集落南はずれの旧道の角などに立っていたのでしょうか。道標を立てて案内するほど当時はお詣りする人が多かったのかもしれません。
地元の70代の男性よると、この(お堂の)場所は的場と言って古くは弓矢の練習場だったそうです。お堂の中には木像があるがお大師さんのことは聞いたことがないとのことで、また調べておくとおっしゃっていました。
光線状態が悪く裏面の文字がしっかり読み取れていません。また詳しく判れば更新します。
※その後、永井大師はこの場所だということが分かりました。後日追記します。
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・各面の内容
[南面]_(袖から出た手が右指差し)、永井大師道
[東面]_嘉永五壬子年九月…
[西面]_嶋屋?さき
[北面]_世話人、筆屋善?七、麹?屋藤?吉、千なり?とく
建立年 : 1852年 (嘉永5年)
寸法 : 高100cm×幅27.5cm×厚16-17cm
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<2018/3/8 初投稿>
<2021/3/23 補筆>
<2022/6/28 リニューアル(写真更新・補筆)>
<2023/2/9 補筆>