記事をリニューアルしました(2023.1.29) 



[南面]_左、西圓堂みね(祢)の薬師如来 



[西面]_富士剣ヶ峰定座、奈良市、西鍋長主 




[東面]_養老年間行基菩薩作 



[北面]_宇宙居士、吉村長慶、謹建 



法隆寺中門前に立てられている。


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奈良町出身の明治の奇豪、吉村長慶(文久3年~昭和17年)による道標。法隆寺中門前に立ち、境内の西にある法隆寺西円堂(本尊・峯薬師)を案内する。

法隆寺境内には長慶による道標が中門前石段下の手水屋横東院伽藍四脚門前などにある。長慶は数多くの石造物を残しており、県内の道標においては法隆寺境内の3基の他に王龍寺(奈良市二名)を案内するものが8基ほど残っている。

西鍋長主とは吉村長慶の別名で、こちらの記事に「富士剣が峰定座とは長慶さんが富士山に登攀し頂上剣が峰に生髮を埋めたことをいう。西鍋長主とは、吉村家は京都で梵鐘を造る鋳物師の家系だったがある乱に巻き込まれ加茂の辺りで鍋や風呂釜を造るようになり、その頃鍋長さんと呼び名がついた。初代長蔵さんが奈良まちに住んで質商をはじめたが人は吉村質商に行く時、鍋長さんへ行くと言い習わしていた。長慶さんが分家して西吉村家の質商を営んでいたので、自らも「西鍋長主」と名乗ったのです」とある。


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・各面の内容 

[南面]_左、西圓堂みね(祢)の薬師如来 
[東面]_養老年間行基菩薩作 
[北面]_宇宙居士、吉村長慶、謹建 
[西面]_富士剣ヶ峰定座、奈良市、西鍋長主 



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<2017/8/19 初投稿> 
<2023/1/29 リニューアル(写真更新・補筆)>