記事をリニューアルしました(2022/11/13) 



中街道の下平田には高さ2mを越える大きな道標が立っている。 
[南面]_右、おか(於可)寺、はせ、いせ、
            あすか(可)社、かく山、たふのみ(三)ね(祢)(多武峰)、あべ、道 



[西面]_左、な(奈)ら、京、大坂、
            久米寺、たへま、法り(里)う寺、たつ田、道 



[東面]_左、つぼ坂、か(加)うや山(高野山)、
            こ(古)んか(加゙)う山(金剛山)、よしの山上、道 



北面は現在壁に面している。
[北面]_文久三癸亥三月吉日、建之、道中、村中、安全 



鋭い尖塔形状の頭頂部。



根元部分。



南側から。この場所で中街道(高野街道・紀路・巨勢路)と、橘寺・岡寺へ通じる岡道(霧ヶ峯道・橘街道)が分岐していた。



東側から。



南側から。






*   *   *   *   *   


中街道の下平田に立つ文久3年の道標。高さは2mを越える。

道標の各面には、京、大坂、伊勢、高野など広範囲に渡る多くの行先が刻まれている。現在は壁側になっている北面には紀年銘とともに「道中 村中 安全」の文字が刻まれている。

この場所で、奈良から五條を結び紀州へと通じる中街道(高野街道・紀路・巨勢路)と、橘寺・岡寺へ通じる岡道(霧ヶ峯道・橘街道)が分岐していたようだ。

東へ分岐する岡道(霧ヶ峯道・橘街道)は現在は観光ルートとして整備されているが、昔は薄暗い丘越えの細道だったと聞く。道筋には多くの史跡と共に、県内で2番目に古いとされる寛文13年(1673年)の道標や天和4年(1684年)の板碑道標、如意輪観音道標、磨崖道標、指差し道標などバラエティーに富んだ11基の道標が残されている。

また、ここから100mほど南の豊年橋のたもとには寛政八年建之の道標があり、中街道より分岐した越の道(御所街道)が観音寺・御所へと通じている。真弓の丘一帯の地蔵道標群をはじめ、道筋には多くの道標が残っている。(各道標の詳細は道標マップで) 


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・各面の内容 

[南面]_右、おか(於可)寺、はせ、いせ、
            あすか(可)社、かく山、たふのみ(三)ね(祢)(多武峰)、あべ、道 
[西面]_左、な(奈)ら、京、大坂、
            久米寺、たへま、法り(里)う寺、たつ田、道 
[東面]_左、つぼ坂、か(加)うや山(高野山)、
            こ(古)んか(加゙)う山(金剛山)、よしの山上、道 
[北面]_文久三癸亥三月吉日、建之、道中、村中、安全 


建立年 : 1863年 (文久3年) 
寸法 : 高228cm×幅30cm×厚28.5cm 


平田郵便局西丁字路 (中街道(高野街道・紀路・巨勢路)・岡道(霧ヶ峯道・橘街道)) 



●大きな地図で見る 


<2016/12/21 初投稿> 
<2021/3/13 補筆> 
<2022/11/13 リニューアル(写真更新・補筆)> 
<2024/4/14 補筆>