記事をリニューアルしました。(2023/4/17) 



[南面]_右、たつた、法りうじ(埋没)、…(埋没)、
            左、みは(三輪)、はせ、…(埋没)、



[南面]_右、たつた、法りうじ(埋没)、…(埋没)、
            左、みは(三輪)、はせ、…(埋没)、



[東面]_慶應四戊辰年○月…(埋没) 



[西面]_行年、四十二善?次郎…(埋没) 



[北面]_文字なし 



頭頂部。



東側から。



西側から。



南側から。


*   *   *   *   *   


筋違道の屏風・伴堂から唐院へ抜ける旧道に立つ慶応4年の道標。

この道は法隆寺街道の間道であると思われるが古くは本道であったのかもしれない。旧道のあぜ道を南東に200mほど行った「寺の前古墳」前の辻には、丹波市・檪本、法隆寺・龍田、高田・御所・高野山の各方面を案内する明治5年の道標が立っている。

地元の人によると以前は道の対面に北向きに立っていたというが、元はすぐ北の分岐辺りにあったのではないかと想像している。車に当てられたのか修復痕が痛々しい。


*   *   *   *   *   


・各面の内容 

[南面]_右、たつた、法りうじ(埋没)、…(埋没)、
            左、みは(八)(三輪)、は(者)せ(初瀬)、…(埋没)、
[西面]_行年、四十二善?次郎…(埋没) 
[東面]_慶應四戊辰年○月…(埋没) 
[北面]_文字なし 


記銘年 : 1868年 (慶応4年) 
寸法 : 高79cm×幅28cm×厚15cm (コンクリート基礎除く) 



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<2016/4/1 初投稿> 
<2019/9/9 補筆> 
<2020/4/25 補筆> 
<2022/5/4 年号の間違い訂正> 
<2022/10/13 補筆> 
<2023/3/13 補筆> 
<2023/4/17 リニューアル(写真更新・補筆)>