記事をリニューアルしました(2022/4/12) 



暗越奈良街道と郡山街道(富雄街道)の交差点にある道標です。



かなり以前から折れて倒れているようです。 



2022年3月8日、たまたま立っていたのでこの機会に全面を斜光状態に持ってきて撮影し直しました。



正面には「右 中かいと 左 大坂 道 」と刻まれています。元々は東を向いて立てられていたと思われます。



右側面は変体仮名まじりで「右 中か(可)い…」と刻まれています。



左側面は「安永ニ巳八月○(吉?)… 施主 龍?田村…」でしょうか。 



頭頂部には盃状穴が見られます。 



折れた下部です。左側に「…松」の文字が見られます。右側は「日」でしょうか。







西側から。道標の対角線上に富雄村道路元標が立っています。



南側から。


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砂茶屋交差点から西へ入ったところに旧道の辻があります。この場所はかつての暗越奈良街道と郡山街道(富雄街道)の交差点にあたります。その北西角にかなり以前から2つに折れた道標が転がっています。

正面には「右 中かいと 左 大坂 道」、右側面には「右 中可(か)い…(…とミち?)」と刻まれており、かつては東向きに立てられ、暗越街道の大阪方面と中垣内越(古堤街道)へ通じる道を案内していたと思われます。左側面には安永2年の銘と施主の名が刻まれています。頭頂部に盃状穴が見られます。

この場所は昔から街道の重要な交差点であり、この道標も多くの人に関心を持たれているようで訪れるたびに折れた上部が移動しています。2012年頃からの移動の様子を(お遊びで)描いてみました(下図)。この道標の断面には接合修復痕がありますが、土台(下部)自体が傾いているのでなかなかうまくくっつかないのでしょう。





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・各面の内容 

[正面(元東面?)]_右、中かいと、左、大坂、道 
[右面]_右、中か(可)い… (…とみ(三)ち?) 
[左面]_安永ニ巳八月○(吉?)…日、施主、龍?田村…○松 
[裏面]_文字なし 


建立年 : 1773年 (安永2年) 

砂茶屋交差点西四つ辻・富雄南交番前 (暗越奈良街道・郡山街道) 



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<2015/10/1 初投稿> 
<2020/3/6 補筆> 
<2021/7/6 補筆> 
<2022/4/12 写真更新・補筆>