記事をリニューアルしました。(2023/10/1)
當麻街道市場の地蔵堂四つ辻にある明治34年の道標。
[西面]_右、た…(埋没・ゑま?)、
左、は(者)…(埋没・せ?)
[北面]_明治三十四○(年?)…(埋没)
[東面]_…?、施主、枩?お○…(埋没)
市場集落南東のお堂前にある。
西側から。
東側から。
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當麻街道市場の地蔵堂四つ辻にある明治34年の道標。當麻と初瀬を案内しているようだが半分以上埋没(または下部が欠損か)している。大きさは33cmほど。
この辻は昭和40年台に行われた一帯の道路改修以前は変則四つ辻だったようで、元々この辻にあったとするなら元は北を向いて立っていたと考えられる。東面には「施主 枩お…」のように見えるが完全には読み切れていない。
南北の道は北の大坂街道(伊勢街道)と竹内街道を結ぶ連絡道でもあり、北は六道山・箸尾・奈良方面からの當麻寺参詣の近道だったことから、下街道・広瀬街道などを通って多くの参拝客が利用したとみられる。六道峯東側の大坂街道(伊勢街道)の分岐辺りには、現在広陵町安部の穂雷神社前にある「左 たゑま」と刻まれた地蔵台石道標(地蔵に享保17年の銘あり)が置かれ、途中の大谷集落にも「右 たゑま」「左 なら こうり山」と書かれた天保3年の道標が立っている。南は新庄・御所方面へ通じていた。
東西の道は當麻街道や當麻道などと呼ばれ、高田で下街道から分岐し領家からはほぼ一直線で當麻寺の山門へと至り、こちらも多くの参拝客に利用されたようだ。道筋には昭和に入ってからも少なくとも6基あまり(8基?)の道標が立っていたようだ。現在も道沿いに障害物があまり無く真っすぐなので、當麻寺駅南側の近鉄南大阪線の踏切付近に立つとかなり遠くまで(この辻の辺りまで)見通せる。
今後分かったことがあれば訂正・追記・補筆していく。
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・各面の内容
[西面]_右、た…(埋没・ゑま?)、
左、は(者)…(埋没・せ?)
[北面]_明治三十四○(年?)…(埋没)
[東面]_…?、施主、枩?お○…(埋没)
[南面]_文字なし
建立年 : 1901年 (明治34年)
寸法 : 高33.5cm×幅16cm×厚13.5cm
市場集落南東・地蔵堂四つ辻 (當麻街道)
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<2015/7/9 初投稿>
<2021/7/21 補筆>
<2023/10/1 リニューアル(写真更新・補筆)>