記事をリニューアルしました(2022/11/13) 



伊勢街道(初瀬街道)と忍坂街道(松山街道)の分岐点である「宇陀ヶ辻」に立つ高さ258cmにもなる大きな道標で、忍阪集落にある舒明天皇陵(段ノ塚古墳)を案内している。正面(西面)には「舒明天皇御陵道 従是 南へ八丁」と刻まれている。「南へ八丁」とあるが実際には忍阪集落の天皇陵分岐まで9丁(1km)、天皇陵へは13丁(1.4km)ほどになる。



北面には「片岡我童 仝 東吉 建之」と刻まれている。歌舞伎役者の片岡我童(三代目)と片岡東吉(我童の息子で四代目片岡我童)によって建てられたものと思われる。



南面には「明治廿七年五月」、下部には「我童手代 新井半二郎 西横堀石商 石田幸助」と刻まれている。新井半二郎は我童の弟子の一人だろうか。



東面に文字は無い。







宇陀ヶ辻を西側から。宇陀ヶ辻は半阪峠越えで宇陀松山に通じる松山街道(忍坂街道)と伊勢街道(初瀬街道)の分岐点になる。



南側から。伊勢街道(初瀬街道)を500mほど行くと奈良方面からの上街道との合流地点である慈恩寺追分の辻に出る。






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伊勢街道(初瀬街道)と忍坂街道(松山街道)の分岐点である宇陀ヶ辻に立つ明治27年造立の大きな道標。高さは258cmになる。舒明天皇陵に治定されている段ノ塚古墳を案内している。

「南へ八丁」とあるが実際には忍阪集落の天皇陵分岐まで9丁(1km)、天皇陵へは13丁(1.4km)ほどになる。

北面には施主として、歌舞伎役者の片岡我童(三代目)、片岡東吉(我童の息子で四代目片岡我童)と思われる名があり、南面下部には我童の弟子と思われる新井半二郎の名が刻まれてている。


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・各面の内容 

[西面]_舒明天皇御陵道、従是、南へ八丁 
[南面]_明治廿七年五月、
            (下部) 我童手代、新井半二郎、西横堀石商、石田幸助 
[北面]_片岡我童、仝東吉、建之 
[東面]_文字なし 


建立年 : 1894年 (明治27年) 
寸法 : [全体] 高258cm 
          [本体] 高198cm×幅29cm×厚27cm 
          [台石(上段)] 高10cm×幅52cm×奥52cm 
          [台石(下段)] 高50cm×幅(上底112cm下底123cm)×奥(上底112cm下底127cm) 


宇陀ヶ辻 (伊勢街道(初瀬街道)・忍坂街道(松山街道)) 



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<2015/6/29 初投稿> 
<2021/5/2 補筆> 
<2022/11/13 リニューアル(写真更新・補筆)> 
<2024/7/26 補筆>