[西面]_すぐ、吉光尼御廟、ひばり…(埋没・山)、
            左、はせ、いせ、… 



[北面]_右、たふのみね、よしの、大みね、かうや、… 



[東面]_すく、大坂、さかい、… 







北側から。



東側から。



西側から。





*   *   *   *   *   


この道標は現在の初瀬街道(伊勢街道)から南へ約50mほど入った場所にある。この場所は江戸後期~明治期に現在の街道筋が整備される以前の初瀬街道(伊勢街道)であり、宇陀方面への旧街道(忍坂街道の旧道か)の分岐地点でもあった。

治水や土木技術の進んでいない昔は街中でも山中でもなるべく川筋を避けて歩かれていたため、平地では自然堤防などの微高地や段丘上、山地では尾根上が道になることが多かった。ここでも氾濫の多かった場所を避けて河岸段丘の上を通っていたようだ。

桜井の町から東へ進んで現在の跡見橋を過ぎた辺りで粟原川を南へ渡り、段丘上を東に進んで、この道標の西面の「左 はせ いせ」の指示通りにこの辻から北上し、約180m北の外山阿弥陀堂で東に折れて慈恩寺追分・初瀬方面に至るのがの古い街道筋のようだ。阿弥陀堂前には、南面「右 はせ道 これより四十八丁」東面「左り よしの道」と刻まれた半自然石の道標が立っている。逆に、初瀬方面(外山阿弥陀堂)からやってくると、北面の「右 たふのみね よしの 大みね かうや」の指示通りにここを西に右折して、桜井(多武峯街道・安倍街道・橘街道)や八木(中街道)方面へ至ったのだろう。

また、この道標の西面に「すぐ 吉光尼御廟 ひはり山(日張山青蓮寺)」とあるように、ここから東へ進んで粟原川の左岸沿いに忍坂の向垣内橋付近に抜ける道が宇陀方面への旧道で、こちらも当時の常道だったと思われる。

現在、擁壁と密着しているが南面には文政11年の銘があるという。


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・各面の内容 

[北面]_右、たふのみ(三)ね(祢)、よしの(能)、大みね(年)、かうや、… 
[東面]_すく、大坂、さか(可)い、… 
[西面]_すぐ、吉光尼御廟、ひ(飛)ば(者゙)り…(埋没・山)、
            左、は(者)せ、いせ(世)、… 
[南面]_文政十一年子正月吉日 世話人(※櫻井町史(1954年)) 


建立年 : 1828年 (文政11年) 
寸法 : 高122cm×幅34cm×厚36cm 


報恩寺北三叉路(初瀬街道(伊勢街道)旧道) 



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<2019/10/3 補筆> 
<2019/10/6 写真更新・補筆> 
<2022/7/25 補筆> 
<2023/9/3 補筆> 
<2023/12/15 補筆>