古い記事をリニューアルしました。(2024/4/4) 



初瀬街道と神武天皇御陵道(神武街道・神武道)の分岐点に立つ明治9年の道標。神武天皇陵を案内している。
[北面]_神武天皇御陵道、従是、南八町 



[西面]_右、神武天皇御陵道 



[東面]_左、神武天皇御陵道 




[南面]_今井住米田善平者○羅疾百方無效祷諸於、
            神武帝陵不幾而愈爾後崇奉益深頃欲立指道碑、
            於小網村境南折之処便四方超拜之客以報神徳、
            萬分之一碑成請余記念深感其志書其概以應時、
            明治九年丙子五月前部愿撰、
            米田善平立 


 
南面の文字を別アングルで。



台石部分。



頭頂部の形状。







西側から。



北側から。



東側から。



南側から。






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初瀬街道と神武天皇御陵道(神武街道・神武道)の分岐点に立つ明治9年の道標。神武天皇陵を案内している。

神武天皇御陵道(以降、神武道と呼ぶ)は、初瀬街道(伊勢街道)の小網から今井町を真っすぐ南に抜けて神武天皇陵に通じる道で、東西道を含めても今井町内を一直線に貫く唯一の道になる。

明治天皇は明治10年に神武陵親謁のため今井町の称念寺に駐泊した。それに先がけて神武道などが整備されたという(今井町史(1957年)P264)。

江戸初期から後期にかけての今井町の複数の古絵図を見ると、のちの神武道にあたる南北道は今井町南側の「きぬや尊坊門」から入ると、一番北側の北尊坊通りで突き当りになっていた。おそらく、この時の道路整備によって今井町を南北一直線に抜ける現在の道が開通し、道標もそれに併せて建てられたと考えられる。道標の南面には神武天皇への信仰の下この道標を立てた経緯が記されている。

道標の北面には「従是南八町」(約880m)とあるが実際にはここから神武天皇陵の北側まででも12町(約1.3km)ある。元は神武道と本町筋や北尊坊通との辻などに立てられていたものを大きな街道筋からの誘導の利点を考え、のちに現在の場所に移設されたのではと考えるが、ちょっと無理がある。

今後何か分かり次第追記していく。


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・各面の内容 

[北面]_神武天皇御陵道、従是、南八町 
[東面]_左、神武天皇御陵道 
[西面]_右、神武天皇御陵道 
[南面]_今井住米田善平者○(穴かんむりに百)羅疾百方無效祷諸於、
            神武帝陵不幾而愈爾後崇奉益深頃欲立指道碑、
            於小網村境南折之処便四方超拜之客以報神徳、
            萬分之一碑成請余記念深感其志書其概以應時、
            明治九年丙子五月前部愿撰、
            米田善平立 


建立年 : 1876年 (明治9年) 
寸法 : [本体] 高140cm×幅37cm×厚38cm 
           [台石] 高16cm×幅61cm×奥61cm 


小網池北・吉川竹材店前 (初瀬街道(伊勢街道・古代の横大路)・神武道(神武街道)・屋就街道(矢継街道・太子道)) 



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<2015/6/22 初投稿> 
<2020/1/17 補筆> 
<2021/4/4 補筆> 
<2021/4/6 補筆> 
<2023/9/2 補筆> 
<2024/4/4 リニューアル(写真更新・補筆)>