古い記事をリニューアルしました。(2024/3/4) 



東味間集落の東はずれの丁字路に小さな祠や地蔵、太神宮常夜燈とともに道標が祀られている。
[南面]_(梵字・ア) (日月紋) 四國八十八番… 五丁西 い王寺(医王寺) 



[南面下部]_… 五丁西 い王寺(医王寺) 



[西面]_右 はせ 
枠内は別の日に別角度で撮ったもの。 




[東面]_右 なら 左 よしの 道 
いい写真がない。文字の読みやすい写真が撮れれば入れ替える。 



[北面]_文字なし 



頭頂部の形状。



西側から。




北側から。



東側から。






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東味間集落の東はずれの丁字路に小さな祠や地蔵、太神宮常夜燈(文政13年)とともに祀られている。紀年銘は無いが江戸期のものか。

正面には、梵字(ア)の下に日月紋が彫られ、「四國八十八番… 五丁西 い王寺」と刻まれている。西面には「右 はせ」、東面には「右 なら 左 よしの 道」と刻まれている。(「は(者)」「な(奈)」「の(能)」は変体仮名) 

約500m西の須賀神社境内にかつてあった医王寺(真言宗/明治初年に廃寺か)を案内しているようだ(田原本の歴史・第4号(1985年)P118)。医王寺には四国八十八ヶ所の写し霊場があったのかまたは札所の一つだったのだろうか。

この場所は橘街道の旧ルートと推測される道と、大網・佐味方面から大西・三輪方面を結ぶ千代街道との分岐点になる。

奈良市今市町(上三橋交差点)からおおよそ古代の中ツ道跡を辿って南下してきた橘街道は、守屋(村屋神社の南)で三輪街道と合わさり、そこからは南東方向へ迂回しているが、守屋から南下してこの道標前を通る南北道も古い橘街道の道筋だと推測(橘街道とも呼ばれる)され、南は初瀬街道の一本木(石原田)から、下八釣・明日香方面へ通じていた。


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・各面の内容 

[南面]_(梵字・ア) (日月紋) 四國八十八番… 五丁西 い王寺(医王寺) 
[西面]_右 は(者)せ(初瀬) 
[東面]_右 な(奈)ら 左 よしの(能) 道 
[北面]_文字なし 


寸法 : [全体] 高90cm×幅27cm×厚18cm [日月紋] 直径14cm 


大西口北交差点南丁字路 (橘街道・中ツ道・千代街道) 



●大きな地図で見る 


<2015/5/30 初投稿> 
<2020/8/31 補筆> 
<2021/5/2 補筆> 
<2024/2/27 補筆> 
<2024/3/4 リニューアル(写真更新・補筆)>