記事をリニューアルしました(2022/7/17)
飛鳥川の甘樫橋西詰に立つ岡寺を案内する道標。正面(北面)には「すぐ 岡寺」と刻まれている。
南面には「明治四十五年三月 施主 大阪 石村安次郎」と刻まれている。
西面に文字は無し。
東面にも文字は無い。
頭頂部。
北側から。道標-A(右)、道標-C(中央)と並んで立つ。
甘樫橋を西側から。橋の向こう側は旧飛鳥小学校跡地で、現在は農産物直売所「あすか夢の楽市」になっている。
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甘樫橋西詰に立つ3基の道標のうちの一つで岡寺を案内している。
石村安次郎氏による明治45年(1912年)の岡寺を案内する道標は4基が存在したようで、現在、甘樫橋西詰、旧河原橋北詰(橿原市飛騨町)、飛鳥寺北T字路にある3基を確認している。中街道の飛鳥川神道橋のたもとにあったと思われるものは、現在聞き込みを続けているが今のところ所在は確認出来ていない。
この4基はすべて同じ様式で作られており、頭頂部の4辺を大きく面取りされた一般的な墓石のような形状になっている。また、4基ともに中街道の八木(小房)から飛鳥、そして吉野方面へ至る街道(八木街道・岡道・芋峠越吉野道・山上道とも)沿いにあり、そのうちの3基が飛鳥川に架かる橋のたもとに建てられている。飛鳥寺北T字路の道標だけが元伊勢と伝わる飛鳥坐神社を併せて案内されており、「すぐ」の文字が「スグ」とカタカナ表記になっている。
道標ではポピュラーな「すぐ ○○」という表現は私たちが普段使う「ただちに」や「近い」という時間や距離的な意味ではなく、そのほぼすべてが「真っ直ぐ」または「一本道」「道なり」を意味している。甘樫橋西詰の道標の場合も、元々北西に向いて立っていたようなので、「すぐ」とは南東方向、すなわち橋を渡って真っ直ぐ(道なり)に進めと指示している。
しかし、飛鳥寺北T字路の道標の場合は、目的地である飛鳥坐神社までの距離が百数十mと近く、まさに「すぐ」に到着するわけで、目的地がこれほど近い「すぐ」は県内の道標の中でも例を見ない。DBでざっと調べたが数百mで到着できるものはなかった。「スグ」とカタカナ表記されているのは、多少「ただちに」のニュアンスも含ませているためかもしれない。
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・各面の内容
[北面]_すぐ、岡寺
[南面]_明治四十五年三月、施主、大阪、石村安次郎
[西面]_文字なし
[東面]_文字なし
建立年 : 1912年 (明治45年)
寸法 : 高154cm×幅24cm×厚23cm
飛鳥川甘樫橋西詰(八木街道・岡道・芋峠越・木之本街道(橘街道)・安倍山田道(磐余道))
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<2015/5/29 初投稿>
<2020/7/8 補筆>
<2022/7/17 リニューアル(写真更新・補筆)>
<2023/7/17 補筆>