古い記事をリニューアルした。(2024/6/24) 




大西の市杵島神社の裏手に立つ。
[東面]_(梵字)、右、たつた(多)、ほふり(里)ふじ、道 
※「た(多)」「り(里)」は変体仮名。 




[北面]_左、は(者)せ、み(三)わ 
※「は(者)」「み(三)」は変体仮名。




[南面]_文政七申年八月、八日、…、十二日、… (以下は解読中) 



[西面]_文字なし 



頭頂部の形状。




北側から。市杵島神社裏手に立つ。



西側から。



南側から。


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市杵島神社の裏手、初瀬川(大和川)の堤防上の道路脇に立つ。

大三輪町史(1959年)や桜井市史などでは三輪街道(田原本街道)の道標として「(集落)南入口西側のもの」とあり、おそらく集落南はずれの三輪街道が東へ折れる三叉路の西側に東向きで、または現在の信号のある交差点の北西角か南西角に立っていたものを近年この場所に移したと思われるが、個人的には、この道標は元々この場所に立ち、三輪街道を行く人々のためではなく、豊田、芝経由で三輪と田原本方面を行き来する人のための道標だったのではないか、とも考える。その理由としては、集落内の他の2基は多少移動されながらも道幅の狭い街道の屈曲点に現在もしっかりと立っていることと、邪魔になって移設するにしても神社境内や公共の敷地内などではなくちょっと中途半端な印象を持ったこと、また、明治41年と大正11年の地図ではこから100mほど上流に橋が描かれ、川を渡って豊田、芝を通って三輪に通じており、それらの地図では現在道標のある場所には道は描かれていないものの、川沿いの自然堤防(微高地)上に道があってもおかしくはないと感じたことなど。

話しを戻す。集落南側の街道沿いの水路が近年(時期は不明)拡張工事されたとも聞いており、移設はそれらが関係しているかもしれない。調査・聞き込み中なので今後何か分かれば追記していく。


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・各面の内容 

[東面]_(梵字)、右、たつた(多)、ほふり(里)ふじ、道 
[北面]_左、は(者)せ、み(三)わ 
[南面]_文政七申年八月、八日、…、十二日、… 
[西面]_文字なし 
※「た(多)」「り(里)」「は(者)」「み(三)」は変体仮名。 


建立年 : 1824年 (文政7年) 
寸法 : 高54cm×幅17cm×厚12cm 



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<2015/5/14 初投稿> 
<2020/4/21 補筆> 
<2023/4/30 補筆> 
<2024/6/12 補筆> 
<2024/6/24 リニューアル(写真更新・補筆)>