9年前の記事をリニューアルしました。(2024/4/8) 



川原田中集落の三叉路に立つ。香久山少林院法然寺を案内している。



[南西面]_元祖大師廿五㚑(霊)場第十…(埋没・番)、
               左(㔫)、かぐ山法ね(祢)ん寺…(埋没・道) 
(「ね(祢)」は変体仮名) 



[南東面]_天保十四卯年十二月建之、法然寺…(埋没・廿四世)、大坂…(埋没・形屋) 



[南東面(最下部)]_……、法然寺…(埋没・廿四世)、大坂…(埋没・形屋) 



[北西面]_文字なし 



[北東面]_文字なし 



頭頂部の形状。







西側から。 



北側から。



南側から。 












 

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浄土宗の開祖、法然上人ゆかりの二十五寺を巡礼する「円光大師(法然上人)二十五霊場」が江戸期に制定された。香久山少林院法然寺は十番の札所となっており、橿原市・桜井市・明日香村一帯には法然寺への多くの道標が残されている。

この道標は川原田中集落の八木街道(岡道・飛鳥街道)と中街道の丈六方面への道の分岐地点に立つ。

県内の法然寺を案内する道標は現在、橿原市・桜井市・明日香村に12基ほどを確認している(漏れがあるかもしれない)。

そのうちの8基、橿原市田中町(天保14年)・橿原市石原田町(天保14年)・桜井市谷仁王堂(天保14年)・安倍文殊院山門前(天保14年)明日香民俗資料館下(天保14年)飛鳥寺境内(天保14年)・奥山集落南十字路(無記銘)・慈恩寺集会所前(弘化2年)には、「元祖(円光)大師廿五霊場」「法然寺(廿四世)進誉代」の文言があり、大坂の信徒によって近辺の街道の主要な辻に建てられたもの。

他の4基のうち、法然寺山門前(1796年・寛政8年)のものは前者の8基よりも古いもので橿原の小房の施主による。飛鳥寺境内のものは大滝村の施主によるもので、東池尻本福寺北のものとともに年代は不明。リンクの無いものは道標マップで。 

他には数基が消失したようで所在不明になっている。また、西の中街道沿いにも現存はしないが同種の道標が建てられたと考えている。


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・各面の内容 

[南西面]_元祖大師廿五㚑(霊)場第十…(埋没・番※1)、
               左(㔫)、かぐ山法ね(祢)ん寺…(埋没・道※2) 
[南東面]_天保十四卯年十二月建之、
               法然寺…(埋没・廿四世※3)、大坂…(埋没・形屋※4) 
[北西面]_文字なし 
[北東面]_文字なし 
※「ね(祢)」は変体仮名。
※1-4 橿原市史(1987年) 


建立年 : 1843年 (天保14年) 
寸法 : 高89cm×幅29cm×厚22cm 


川原田中集落中央部三叉路 (八木街道・岡道・芋峠越) 



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<2015/4/16 初投稿> 
<2019/9/20 補筆> 
<2020/6/26 補筆> 
<2024/4/3 補筆> 
<2024/4/5 補筆> 
<2024/4/8 リニューアル(写真更新・補筆)>