自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか/岡本 太郎
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こんにちは、源泉徴収の書類を無くした田中です^^
こういう人がいるから税理士さんて、大変な仕事だな!って思います。はよ再発行しなきゃ。
さてさて、半年以上高校の友人から借りっぱなしの本をreviewにしたいと思います。
もうこの表紙の太郎さんの表情でおわかりの通り、きつい内容です。
己を殺せとか、甘ったれるなとか。
でもかなり心にグッときます。他人にも自分にも厳しく、本気で人生を生き抜いてきた彼の精神論にちょっと触れてみましょう。今回は彼の言葉をそのまま載せたいのでまとめないで、引用だけにします。
Q)人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、いま現時点で人間の一人ひとりはいったい本当に生きているだろうかということだ。
本当に生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。
システムのベルトコンベアーに乗せられて己を失って、ただ惰性的に生活をつづけているというのなら、本質的には生きているとは言えない。ならば、人類滅亡論をいうことも意味がないじゃないか。一人ひとりが強烈な生きがいにみちあふれ、輝いて生きない限り。
たしかに今日の小市民生活は物質的には恵まれている。暮らしは昔に比べてはるかに楽になってはいるが、そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。
進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘えてしまっている。システムの中で、安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。今日の、すべてを虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。
強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最も厳しい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。死はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。この世の中で純粋に自分を貫こうとしたら、生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険を伴う。
そのとき死が現前するのだ。惰性的に過ごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。今日はほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になっているのだ。
個人財産、利害得失だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは、逆に蹴り飛ばしてやりたくなる。
人間本来の生き方は、無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。
死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。(UQ
恐ろしいほどまっすぐな人ですね。
こういうストイックな考えに惹かれる自分もいます。
ついでに、大阪に行ったときに撮った「太陽の塔」(岡本太郎作)



