よく言えば、意思がかたい。
けど、大体が意地っぱり。
間違えてる、と指摘されるのが悔しくて
知らないことがあるのが恥ずかしくて
意地を張ってしまう。
今思い返すと、あんなに意地張ること
なかったよなぁ…
ピアノの恩師を始め、周りの大人もきっと私の扱いに、困っていたことでしょう。
今、当時の自分くらいの
可愛い可愛い生徒たちと日々ピアノを弾いていると
当時の自分とそっくりな姿を時々見かけます。
ここにも1人、意地っぱりさん^^
当時の自分が気恥ずかしいやら、
小さい体で肩肘張って頑張っていたあの頃が
少しかわいそうでもあり。
そして、意地を張りたい気持ちを思います。
そんな子は、
好奇心旺盛でいろいろなことを知っていたり、記憶力が良くて
よく気がついたり、耳が良かったり
活発で、自分でなんでもかんでもしてしまいたい。
じっとして見てるなんて、大嫌い!
全て、あの頃の私です(^^;
大人になった今、さすがにあの時から比べると随分丸くなった私…
《意地っ張りはもったない》
と、数々の失敗を通してわかったから。
大人になるにつれ新しいことに挑戦したり、新たな環境に身を置くことが増え、
失敗を繰り返し
《無意味な意地っぱりは損だ》
ということをようやく学習しました。
時々、今も意地っぱりが顔を覗かせそうになります。
でも、あの頃の自分をふと思い出し
意地っ張りを引っ込めて、気持ちを切り替えます。
今朝、久しぶりに私の恩師と電話で話しました。
私が最初に師事した、私にドレミを教えてくださった恩師。
もうすぐ指導歴なんと、50年(!)に
なられるそうです。
これまで門下に たくさんの音楽家や指導者を生み出された先生ですが
今も、ドレミ…の最初からの子のレッスンも受け持っておられるとのこと。
小さく、意地っ張りだった頃の私から
今まで導き、ここまでにしてくださり
今も、ご無沙汰ばかりの私を気遣ってくださっていて。
同じ仕事に就き、有り難さを思い知ります。
うちの教室の、愛すべき意地っ張りちゃんが
それを意思の固さに昇華させ
同時に柔軟さも
どちらも身につけられるように。
元・意地っ張りとして
私も恩師のように
長い目であたたかく見守っていこうと思います。