本日 「子宮内膜症」・「子宮筋腫」での「子宮全摘手術」から、丸5年。
過去の記事に、書いた、
https://ameblo.jp/private-label12/entry-11408627244.html
https://ameblo.jp/private-label12/entry-11444291610.html
https://ameblo.jp/private-label12/entry-11533864008.html
https://ameblo.jp/private-label12/entry-11757391543.html
から、丸5年が、経過しました。
まず、
どななたか、ご存知の方いませんか?
書いてから、随分な月日が、経つのに、未だに、
御拝読下さっている方が、意外といる、「膣断端」
誠に、有難う御座居ます。<m(__)m>
これは、術後、5年以上経過しても、起こるの?
そして・・・
術後の腹部膨満は、腸と膀胱の圧迫によるものだとか・・・
で、聞くところによると、
色んな意味、性行為をしないと、どんどん、酷くなるばかりと・・・
https://ganjoho.jp/public/dia_tre/rehabilitation/sexual_dysfunction_female.html
にもあるけど、本当に、そんな事、あるんでしょうか?
子宮をなくして、丸5年・・・。
今日、闘病記として、術後の事。
何かに拘り、しがみついて、依存執着という事。
について、
現在・今後闘病や手術なさる女性は、勿論。
ご自分の周囲にいる女性を理解して、支える事の必要性が、男性にはある事。
この世の中全体への訴え。
と、したいと思います。
術後、5年後って、考えた事がなかった。
と言うか・・・考えたくなかった。
平成25年、2013年、1月8日午前8時30分だったかな、の手術、
正直、怖くて、逃げ出したい気持ちもあった。
入院した、手術前日に、ブログを更新させ、
日中、何やらバタバタして
就寝時間、なかなか寝付けずにいた。
手術の直前、座薬注入迄、受けてて、
もし、ここで、「手術、止めます。」って、言ったら。」どうなる?
って、手術室に入り、手術台に進み、主治医の顔見る迄、思った。
37歳、38歳になる、19日前に、子宮をなくすとは、夢にも思ってなかった。
24の時に、「子宮内膜症」が、見つかり、
「子度が産めない身体」だと、宣告を受けた時に、
あれだけ、納得した筈が、聞き分けの無い、だだっこになってた。
なんなんだろう?
手術台に、横たわり、
http://news.livedoor.com/article/detail/6364543/
ここで、以前取り上げた、女優の古村 比呂さんのお言葉を借りて、
「子宮さんお疲れ様。そして有難う。」
と、心の中で、つぶやいた。
私は、意外と、初潮になったのが、早かったので、
「スプレキュア」や「リュープリン」・「ディナゲスト」で、月経を止めていた、
期間があったとは言え、20数年、毎月の月経で、子宮内膜を傷つけていて、
子宮に、負担を強いていたと思ったいたので・・・
8時半ごろの手術で、病室に戻っていたのが、お昼過ぎ、
記憶が、うすら覚えであるのは、手術が終わり、
看護師の方の呼びかけに、頷き、
第一声が「トイレに行きたい。」
だった事は、私自身言った記憶があるし、
看護師の方からも、翌日、言われ、笑われた。
トイレに行きたいのは、大の方で・・・
お腹の張りが、大の意と、思った。
ここで、まさか、催す訳には、行かないと思って・・・
そこだけは、覚えてる。
手術室から、病室の間の事は、覚えてない。
完全に、麻酔が覚め、記憶があるのは、
病室で、心配そうに見つめる、家族の顔。
その時、経過説明を聞居た事を話してくれてて、
確か、うすら覚えで、
小さな筋腫が、点在していたとかと・・・
それを聞いた時、
まさかの話に、動揺していた。
丁度、お昼頃だった様で、ご飯を食べ終わった後の様で、
きょうだいの子供が、ジュースを飲みたいと、騒いでいて、
確か、コップを渡した。
と言うか・・・悪寒と、熱くて、汗をかくのと、交互に来て、
其れに苦しめられた。
点滴と、下半身は、「血栓症予防の器具」が、固定してつけられて、
翌日気づくと、尿管に、管が入っていた。
家族が、帰ったのち、気づくと、
入院した前日、6人部屋に、私一人だったのが、
3人増えていたので、吃驚した。
職場の上司に、手術の報告メールをした。
気づくと、夕食時だった様で、ずっと、寝てた。
まあ、夜は、バイタルチェックで、2時間だったか、3時間おきに、起こされるので、
寝れる時に、ぐっすり、寝れて、よかった。と、今に思う。



