尾道駅を東へ、林芙美子の像があるところから尾道本通り商店街が始まります。
どこの都市でも人口流出や大規模店舗の進出による商店街の地盤沈下が言われますが、その視点はさて置き歩くだけで懐かしい楽しさがあります。
行商がいたり、店先に机を出して商品を並べていたり…
こちらの果物店のように対面で食品を買うことは今の私にはあまりありません。
私が生まれた家の近くにも商店街がありました。
人々の顔が見え会話が生まれ、そこにはコミュニティがありました。
初めて見る大人に怒られたのではなく、物事を教えてもらったのですね。
この商店街には古き良き光景があるように思います。
情報だけが氾濫し、逆にその情報に弄ばれる若者も多いように見受けられます。
その若者たちが昭和は今は通じない、時代錯誤と口にすることがあります。
新しいものだけが価値があるのではありません。温故知新という言葉を知らないのか?
また一部の若者の意見だけを世の中全体の価値のごとく伝えるマスメディアもいただけません。その人たちの意見や考えとして他の人のものと対等に存在するというだけです。
話が脱線しましたがこれもまた懐かしいですね。
こんなのに乗せられて機嫌を直したことが私にもあったのでしょうね。
路地の様子も懐かしく温かい。
昔からあるものをただ懐かしい懐かしいと言うだけも先に書いたのと同様によくありません。
受け継がれてきた良さや伝統・文化をつぎに引き継ぎながら新しい価値と融合させる。
自国のアイデンティティを大切にするというのか…
決して便利なだけ、享楽的で即物的な世の中や考え方に進んでほしくありません。
そのためにはここで日常見られるような対話。顔を合わしての会話が大切なのでしょうね。