『コラテラル』(トム・クルーズ)がタクシー運転手がかなりのキーマン的存在だったように映画にはタクシーはなくてはならない小道具(と言っては怒られるかも知れませんが?)である。言ってみれば狭い窮屈な空間だが映画にはかかせない大きな舞台にもなるのがタクシーなんだ、と今回偶然にもレンタルしたビデオが「ナイト・オン・ザ・プラネット」という題名だけではまるでダンス映画か恋愛映画のようで見過ごす類のものだが、偶然私の手がそこへ伸びて説明書きを見てこれは、と思って見てみるとかなりのお好み映画で大満足しました。
お話は世界5か国(ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ)同時刻という設定で、5人のタクシ運転手がその同時刻に乗せた客との珍道中を笑いあり、怒りあり、悲しみあり、夢あり、どこにでも転がっていそうな人間と人間の出会いと別れをほんの2時間(ではなく5で割って24~5分)の中に実に多彩に描き出しています。1991年製作だからもう14年前の作品ということになります。アメリカ映画の監督はジム・ジャームッシュ。で、五話からなるお話を書いてもあらすじだけのことになるので上の写真を見て想像されても良いし、興味があれば探してご覧いただくとして、私が興味あることはタクシーがこれほど映画になりやすいのか、ということです。タクシー、というと私などは飲んで帰る時とか、考えても余り利用しないほうの人間です。マイカーは通勤のため毎日使用しているのですが、客という立場で利用するのがタクシーなんだけど、年に片手で数えられるぐらいしかなくて、運転手さんとの会話もたまのたまなんで行き先を告げて、そのあとはブスッとだんまりのままの車内状況で、これでは映画のお話には全く向かない、というより私が面白くない客の部類でしかないということですね。運転手さんにもよるのでしょうし、その日の体調にも、また夜と昼では違うでしょうし、季節もいろいろあるでしょう。と、書いていると、4番目のローマでのお話がちょうど客がものを全く言わなくて運転手だけが一人しゃべりまくって結局終点まで行かずに客は発作であの世へ逝くと言う落語みたいなお話なんだけど、これが運転手も全然しゃべらない、という脚本では時間が持たないというか、見る側がバカにされている、ようにもなってそれは不採用になるのでしょう。或いは、それでも面白いお話にするのがプロのスタッフかも知れませんが?
運転手役の俳優さんですがアメリカは第一話と第二話があって最初が自動車整備工を夢見る若い女性で、次は運転がめちゃくちゃ下手な東ドイツ出身の中年男性になっていたのが他民族だが女性進出を伺える配置になっているし、ヨーロッパ3カ所はお決まりの男性陣になっているけど、今ではそれもアメリカ並みになっているのでしょうか?
アメリカの巻いたけむりを吸っている風邪気味の日本は負けず劣らず女性進出は何をかいわんや、ですね。はからずも時は今、郵政民営化選挙の鍵を握るのは男ではなく時の人・女性の先生方であり、選挙前ですがさるかに、ではなくたぬきときつねでもないけれど、その行方は神のみぞ知る、ということにして彼ら運転手たちのその後が描けるのなら作って欲しいです。あの子は夢を実現して元気に整備工になっているのだろうか?
あのドイツ人のおっさんは何をしているのだろうか?盲目の女性に「眼はみえてもあたしよりあなたのほうが盲目でしょう」と言われて事故ったパリの運転手さんは今もタクシー屋なんだろうか?へべれけの失業者と友人に嘘か真か知らないけど子供を失った自分の悲しみを聞かせて同じ労働者たちを勇気づけたヘルシンキのおっさん。そして4番目のローマのおしゃべり運ちゃんはーーー。
2,005年8月14日60回目の終戦記念日を控えて マジンガーXYXZ