雨天の中の大疾走 | 21世紀・NiceキャプテンC

雨天の中の大疾走

数ヶ月ぶり


こんにちは。



いつから書いてないのか忘れるくらい書きませんでしたね。



その間の変化としては、同棲を開始したり、また中古車を買ったり、なんかいろいろあった気がしますが大して覚えておりません。




とにもかくにも、案の定海外には行きまくってました。




韓国、シンガポール、台湾、中国。



アジアのナカジョ、とどでーんと申し上げたいところですが、最近は謙虚です。




色んな社長を見て、足元の自分を見返してみると、所詮サラリーマンは底辺。




サラリーもらって働いてる内は、給料がどうだろうが、でかい顔なんかできないのです。




私が海外に行きまくってるのだって、所詮組織の歯車のその位置に私がいたからです。




だから自分を見失ってはいかんのですよ。




逆に、サラリーマンでも自信がないそこの君。




当たり前だよ、サラリーマンだもの。正常なのは君だよ。





話は変わって、将来のことです。




地獄の老後が待っているなんて話は今やそこらじゅうに溢れてる話題で、若者の消費が冴えない、将来への不安などが叫ばれています。




将来、不安ですよね。今のままだと。




でも、将来を、30年40年先を心配出来るように庶民がなったのって、ここ30年くらいですよね?



80年前は戦争して明日も生きれるのか分からない状況だったと思います。




50年前は、不安になるのもバカバカしいくらい目の前が眩いばかりに輝いていたのかもしれません。




もしくは、毎月毎月、ご飯を満足に食べられることにお母さんが感謝していた時代かもしれません。




100年前は、死ぬことに意味を見出していた若者が、少なからずいたのかもしれません。




争いの絶えない時代があった、そんなんばっかだった。




そんなことを知る折に、自分はどんな腹を持って生まれてきたのかを探ります。




おそらく、自他共に認める、戦地に一目散に飛び込んで命を失っている青年に違いません。




私の腹は、そういうものです。



だから、私はこのサラリーマン社会も、武器を持たない戦争だと思って仕事をしています。




他人の不幸の上に富はなりたつ。それが資本主義の根幹にして、避けて通れない原理です。



いくら再分配しても、この根幹はなくなりません。




中国が世界の工場ではなくなり、インドネシアも工場ではなくなりつつあり、それが次に、どこに向かおうが、終わりは来るのです。




回り回って、日本が工場に戻るような時代が来た場合、あなたが手に取るのは農具ですか?武器ですか?




私の生きているうちに、答えを迫られるはずです。




今を生き抜くために、私たちが一生懸命やっていることは、戦争です。




武器を持たない間は、笑って、謙虚に行こうじゃありませんか。



では、戦場で。

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