正月休みも今日で最後。

田舎に帰ってきた。

親とご先祖様、親戚に顔を見せてきた。


みんな全然変わってない

まるで昨日にでも会ったように自然で

開口一番に俺から出てくる言葉は

「ごめんね」でやんの。


田舎を飛び出て

毎日パチに嵌ったロクでなし

でも俺、帰ってきたよって

少しずつだけど生活を改善できて

こういうあたりまえができるように
なったんだぜ?って。

そういう意味も込めての「ごめん」。


ちゃんと去年の夏に決めた事が実行できて

良かった。



ついでみたいで、あれなんだけど

この10日間ばかりの帰省中に

俺は

二度ほどのスリップをした。

精神的にスリップしたと言うべきか。



いつも〇〇日達成とか

堂々と言ってるけど


大なり小なり

毎日

「パチ行きたい」を体験してるんだよな。

一日も欠かさず。


そりゃ毎日パチが隣にある日々

毎日新鮮なパチの情報が入ってくる訳で
当然だよな。


それは昔からも同じ

じゃあなぜ今回は「行かない」を継続
できているのか?


違いは去年の年末あたりから
考えるようになってた。


たぶん


目の前で爆出ししているパチを見る。

でも仕事中の立場上遊技はできない。

打ちたいけど打てない。


ここがミソ。


でも仕事あがりで「行きたいな」って
ソワソワしだす。

衝動だ。


毎日襲ってくる衝動に対して

実際にボロボロになっている人を直視して

自分が行った後の結末をリアルに想像して

一つ一つ衝動を潰してさらに消化していく

これを毎日実行できていたから。


毎日パチを直視する事で

「行きたい」を抑制できていただけ

なんとか

押さえつけられていただけなんじゃないかって


今回の帰省で結論というか
確信が持てた気がした。




職場を暫く離れて

パチの情報が完全に遮断された。

それが数日経つと…最悪な思い出が
徐々に薄まって行くのが体感できた。

極々稀に起こっていた「大勝ち」の
記憶だけは鮮明に残したままで。


親戚まわりを一通り終えた車の中で叔父が言ったんだ。

「今日はこの後する事も無いし、夜までパチンコで時間を潰そうか!」

いやw疲れてるから今日はもう良いよー

顔を痙攣らせながら、こう返すので精一杯。

「そーよ。この後晩御飯の買い物にも行くんだからバカよねぇ」叔母が即座にツッコミを入れて

周りを冗談の空気でまとめてくれた。

「まさか今から打ちに行くなんてバカな話ないわ〜」なんて

一時は笑いで済ませてパチの提案を
流してくれたんだけど


けど、叔父の顔がマジだった。
ついでに乗っていたもう一人の叔父も賛同気味

機会を諦めていない顔。


車内の会話が減って沈黙が出だす
独特な空気。


あ、これ、何だかんだで行っちゃうヤツだ。


瞬時に悟ると同時に俺は


この後行くな。そして打つ。


直感的に思った。


財布のは旅費が余裕をもって詰まっているし

遠い地で力試しをして勝ってやりたいっていう
闘争心のようなものと

負けても旅の思い出。これもまたアリっていう
よくわからない言い訳。


今までは最後の最後まで
「行かない」「行きたくない」っていう
自分をどこかで保てていたけど、それが
完全に崩壊した。


早く行きたい。


心の中で完全にスリップしたんだ。


結局は最後まで叔母やおかんが

この後は何を食べて

何を呑んで

何のテレビをみんなで見て

明日は何をして


綿密に具体的な「この後やる事」を
笑いながら話し帰宅まで誘導してくれて

全員無事帰宅した。

叔父達は…なぁ〜んだ残念ちぇっという表情
勝負はお預け程度のノリだったけど。

俺は終始心臓がバクバクで手のひらは
汗でグッショリだった。


「一回死んだな」

ってここで少し悟った。


俺、やめられてない。
毎日ひたすら我慢で行ってないだけで
本当の脱却なんてまだまだだった。

そっか
毎日パチ見ているからこそ行かずに
いられているだけなんだなって。


でもそれだと、まだまだ「押さえつけ」でしか
なく


完全に抜けるには

やっぱり完全にパチを遮断する事が理想だ。



毎日続けていたカウントも
厳密には



本当の意味での禁パチ〇〇日というより

行っていない日〇〇日だったと言う事か。




それでも




やるしかないんだけど。




行かないを続ける事を。






今日一日を人間らしく。