今日一日を人間らしく。


人間らしくってさ


人間らしさって何なんだろ。



パチに嵌っていた頃俺は

自分の事を人間らしく無いって思っていて

人間らしくいたいって心から思った。


人間らしくって、なんだろう


目の前の餌に見境なく飛びつく事も

目の前の異性に見境なく手を出す事も

立派な生存欲求だし

その根本的な欲求によって繁栄もする。

欲しい物を手に入れたい

これが人間らしさ?


ただね

人間は完璧な存在じゃ無いとするならば

誰かを幸せにすると同時に誰かを不幸にしている事だってあるはずで。

保身も自己中もいやらしさ、卑しさも

全部ひっくるめて「人間」なんじゃないか?

そう考えるようになった。


誰かに八つ当たりしたい夜もあるさ

自分が食わなきゃ喰われる事だってあるだろうさ

嘘をついてでも何とかしたい事だって。



「性善説」ってわけじゃ無いけど

基本的に人間って

「良い事と悪い事」の判断は
元々みんな同じ感覚を持っていて



叩く事は悪い。

盗む事は悪い。

嘘をつく事は悪い。

ゴミをポイ捨てする事は悪い。


やっちゃいけない事なんて
習う事なく園児だって既にわかってるし
理解できる事なわけだ。


なぜかって


叩かれた。痛かった。

大事な物を盗られてしまった。悔しかった。

嘘をついて騙された。悲しかった。

ゴミが散らかっていて不快だった。


されて嫌な気持ちになった自分の経験から

学習して、ケースに合わせて自分の経験と

照らし合わせる事で


されたら嬉しい事もひっくるめて


想像し共感する事ができるからなんだと思う。


さらに言うとさ


人は人に喜ばれる事で

自分の喜びとする事もできる生き物。


基本は人に喜ばれたいと思う生き物なんだと

思うんだよね。


好きな相手に喜ばれる事で満たされて

相手からプラスの反応が自分に返ってくる。

本能的にはそうなんだと思うんだよね。



過ちを犯す人だって

犯罪を犯す事になってしまった人も

善悪の判断は元々持っていたと思うんだよね。


それが学生の時か?大人になってからか?

正常な判断力はどこかのタイミングで

置き忘れてくる。


喧嘩に負けて悔しい時

イジメられて屈辱を受けた時絶望した時

陥れられて怒りを感じた時


目の前にある現実と対峙して

あまりに巨大過ぎる現実に立ち向かう事に

敗北して挫折して


どこかのタイミングで

善を貫く事を諦めてしまうんだよな。


それを「捻じ曲がる」って言うのかもな。


その弱さも人間らしさって言っちゃうと
そうなのかもしれないけどさ


向き合って学習して乗り越えて
精神的に成長していける所も人間らしさの
最大の強みだと思えるんだよな。


少なくとも、俺にとってはパチこそが
人間らしさを捨てるキッカケになっていた。

嘘をつく事も自分を守る為

隣の敗者を蔑んでは、隣の勝者を妬む

誰も見てさえいなけりゃ
タバコのポイ捨ても平気でやる
誰かが俺の代わりに吸い殻を拾う労力よりも
俺が灰皿を探してそこへ捨てるという
ゴミのような労力を惜しんで。

どっかに大金の入った財布でも落ちては
いないかと。道を歩く時は常に下を向いて
探し歩く始末。


いずれも、想像力の欠如によって
起こしてきた行動。

もう少し頑張るっていう努力を惜しんで
見て見ぬ振りをしてきた結果。

その現実から目を背ける為に
一心不乱に何かに依存してきた。

それがたまたま今回はパチだった。


だから、俺は

一度はドブに捨てた想像力を取り戻す為に

パチとの決別を誓った。


成り行きに身をまかせるのも
一つの生き方だし悪い事でもない。

でも、自分で未来を創造しながら
自分の意思で成り行きであるはずの未来を
変えていく事ができるのってさ、人間だけ
なんだよな。


少なくとも俺が思う「正しい姿」に対して

少しでも近づこうとし続ける姿勢こそが

俺が思う人間らしさなんじゃないかって。


今日までの365日。


俺は、あの時よりも人間らしくいられただろうか?







一年。達成。






ブログを通じて知り合えた皆さんに

心から感謝します。


ありがとうございます。



今日一日だけでいい。

今日一日を歩んでいけたのなら

明日もまた歩ける。

その次の日も、そのまた次も

今日という一日を人間らしくある事で


明日からもまたずっと変わる事は無い。



今日一日を人間らしく。