俺ってね、子供の頃は
ノラ猫や鳩に、よくお菓子をあげる
子供だった。
かわいいし、懐いてくれるし
あと、ただお腹が空いているだろうから
喜ぶだろうな〜って
大人になるにつれて
少しづつだけど、
考え方が一歩、二歩と先へと及ぶように
変化した。
他者から労せずに食事を与えれた猫は
生きる為に自分で餌にありつくための
知恵と技を失ってしまうのかもしれない
自力で生きられたかもしれない人生(猫生?)
だったはずが、飼い慣らされたばかりに
主が居なくなったら餌を得られずに野垂れる
事になるかもしれない
その公園で餌をもらえる事を学んだ鳩は
公園に住み始めて
砂場や遊具に大量の糞を落とすかもしれない
もしもその鳩が伝染病を持っていたとしたら?
公園で遊ぶ子供達が素手で遊具や砂場に触れたら?
もしも自然に干渉するのが許されるのであれば
生涯に渡り食糧や排泄物、健康管理に至るまで命そのものに干渉し続ける覚悟がある時だけなのかもしれない。
ずっと前に鳩にさ
公道でパンくずを与えていた老女に
お願いをした事があったんだ。
鳩の糞被害で苦情が起こるかもしれないよと、
もちろん理由も添えてね。
まるで変質者を見るかのごとく
被害者とでも言いたげな彼女に対し
「なんて身勝手なやつなんだ」って
感じた自分がいた。
なんかこの頃は、身勝手だという以前に
先まで考える想像力が欠如している事で
起こっている結果なのかなって
そう思うようになってきてる。
鳩に餌を与えている時は
良かれと思ってやっている可能性がある
って事だな。自宅の玄関が鳩の糞だらけに
なったり…不治の伝染病が世界中に蔓延
したり、
こういう末期の光景を目の当たりに
した時に初めて自分の行動が間違えて
いたのだと感じるのかもしれないね。
自分が良かれと思ってとった行動が
誰かに不利益をもたらして
報復として自分に返ってくる時もあるかも
しれない。
報復を受けた俺はまた復讐へと出る。
以下これの繰り返しとなるわけか。
かといって
自分の行動の結果が及ぼす影響に
いちいち不安になっては、逆に何もできなく
なってしまうだろうしさ
だとしたら、良くも悪くも
起きた結果に対して「後悔」しない事。
これがもしかしたら…因果を断ち切る
という事なのかなって。
そう思えてしまう。
先をいくら想定したところで、実際は
どう転ぶかなんてわからない。
でもまあ、ありったけの思考働かせて
考えてから行動した方が、良い結末に
辿り着ける可能性は高いやな。
パチにハマっていた頃は…
そんな事思いもしなかった。
なんせ、考える事自体をやめちまってたから。
だから…ゴミのポイ捨て…列の割り込み…
こまかな嘘…約束事のブッチ…
何でもアリだったな。
今は、ゴミを拾う誰かがどんな気持ちに
なるか?列に割り込まれた後ろの人達が
どう思うか?嘘をつかれた、約束を破られ
どれだけ失望するか…
考えただけでも、恐ろしくて
ちょっとできないかな。
そこまで勇気ないかな。
そこまで考えても
それでも自分のせいで誰かを傷つけたり
誰かの恨みをかってしまったり
するかもしれない。
その不安を払拭して決断へと導いてくれる
それがたぶん
信念だ。
信念に基づいた判断と行動が伴ってさえいれば
俺はね
たぶん、結果に対して後悔するという事も
何かを恨む事も、そのせいにする事も
この先ずっと無いんだ。うん。
だからさ
ほぼ毎日なんだけどさ
ばあさんよ。頼むから人の店の前で
鳩の餌やりすんのやめておくれ。
今日一日を人間らしく。