すでに1日経って

早くもあたり前の日常を取り戻す
本当にタフな国なんだなぁ…



Jアラートが初めて鳴った朝

俺はたまたまテレビをつけていてさ

ニュースを垂れ流しにしてたんだよな。


そうすると急に物々しくなって


一部地域の人達に対して

具体的な避難指示が流れた。


事もあろうか

「いやいやまさか…」

「どうせ今回も失敗だろう」

「どうせ今回もハッタリだろう」

半分そう思っている自分がいてさ


それにしても、ここまで大々的に避難指示を

するのも初めてで

「オイオィ…まさか…今回はマジなのか?」

そう思う自分も半分。


そうこう考えている間に

襟裳岬上空を通過の情報。


まず、確実な事を言うとさ

これがもしマジだったら、落ちてきてたら


100%に近く死んでいた。


という事なんだよな。

タフと言うより、単なる平和ボケに近いというか。


避難対象地区の人達の中で
実際に行動を起こした人はほんの一部だった。

あとの人達は、
何をして良いのかわからなかったり。

そもそも避難できる場所が近くに無い。

ダメな時はダメなんだと諦めとも取れる
コメントをしていた。

命の危機に立たされる
強烈に死を意識する機会があまりにも少ない

これが平和の代償だった。



「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?」

俺の頭の中を走ったのがスティーブ・ジョブズの言葉。



パチに依存している真っ只中では

パチを超える「体験」というものを知らない。


数時間で数万円が自分の財布を出入りするというさ

数時間で数日分の営みを差し出し、
失うか何倍にもなって戻ってくるかの
分岐に立たされるというさ

非現実。

非日常。


普通の生活の中では起こりえない

緊張と高揚のギリギリの中に身を投じる事で

初めて

生きている実感を得る。



生の実感と

死を意識する事は

表裏一体なんだよ。



過ぎたから言うけどね、

ミサイルが発射された日

俺さ、行きたくなってたんだよね。



死に直面とまではいかなかったかもしれないけど

もし俺の近くに落ちてきたら死んでいたという
事実に直面して

俺もまた何もできなかった。

テレビの前で情報を見ているだけだよ。

体が動かなかった。


いつ死ぬかもしれないという現実を突きつけられて

俺の脳が取ろうとした選択は

パチに逃避する事だったんだよな。


死から目を背けようとしたって事。

生きようとしなかったって事。俺の脳は。




巨大な台風が来ようと

大雪が降ろうと

震災があろうと


パチ屋は営業するし

そして来る客が必ずいる。




生きる目的や生涯をかけられる事を
見出せている人も沢山いるけどさ、そういう人って
苦労や努力も含めて受け入れていたりするじゃない。

頑張っているじゃない。


パチは

苦労も努力も必要とせずに

お金を差し出す事で、誰にでも簡単に

仮初めの生の実感を与えてくれるんだもんな。


そりゃあパチ依存して

努力を忘れてしまった脳みそが
安易にすがりつこうとするのは

パチしかないわな。


今日死ぬとわかっていてもパチに行くかい?


少なくとも、パチをやめる事を

一度でも選択したのであればさ

一度は生きていたいと思ったはずだよな?

このままでは死ぬという実感をしたんだろ?

死ぬ前に死ぬ事も無い。

なら生きていると言える選択をしていこう。

がむしゃらに

泥水すすってでも生きてたいと思った
気持ちを忘れずにさ。


カッコ悪くても良いじゃない。

恥ずべき事じゃ無い。

恥ずべきは

諦める自分を許した時だな。






今日一日を人間らしく。