十五の夏 | DVD放浪記

十五の夏

 

 

 

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫)

 

 

 

獄中記 (岩波現代文庫)

 

 

 

 

佐藤優という人物は強面のイメージがあって、私などそれだけで敬遠しがちなところがあったのだけれど、彼の『十五の夏』を読んでだいぶ印象が変わった。

 

 

 

十五の夏 上 (幻冬舎文庫)

 

 

 

1975年、埼玉県立浦和高等学校1年生になった佐藤少年は、その夏休みに東欧・ソ連の旅に出た。たったひとりで!

 

よく親がそんなことを許したものだと思うのだが、これは高校入学への “御褒美” だったという。旅行費用は彼自身の小遣いを入れて48万円。「可愛い子には旅をさせよ」というけれど、この年齢でしかも共産圏諸国周遊というのは実にユニークというしかない。

 

中学時代の学習塾で出会った先生らの影響で社会主義に関心をもつようになったというが、若いうちに日本とは社会体制が異なる国々を見ておくことの意義を認めた両親も大したものである。

 

彼は中学1年生の秋から、ハンガリーの首都ブダペシュトに住む青年と文通を続けており、来訪時には彼の自宅に泊まることができたことも大きな助けだったろう。

 

当時の交通公社ではソ連や東欧については基本的に団体旅行しか受け付けていなかった。ただ、ソ連や東ドイツの場合、個人旅行でもホテル、切符、空港や駅の送迎を事前に予約して、お金を振り込んでおかないとビザ(査証)が出ない。だから実際には団体旅行と同じくらい安心だという(実際、ソ連のインツーリスト職員の対応は良好だったようだ)。東ヨーロッパも西側とほぼ同様に自由に旅行できるとの説明を受け、専門の旅行会社YSトラベル(山下新日本汽船)を紹介してもらう。

 

この旅のプランニングに始まり、訪れた現地の人々との交流や、個々に異なる社会主義国の観察など、どれも興味深く、あいだに夏休みの課題が気になる高校生らしさも窺えたりする。細かくメモをとっていたのだろう、食事の内容についても克明に描かれている。

 

「1975年夏の旅行から40年近く経った時点で、記憶を頼りにして描いた当事者日記」ではあるので、リアルタイムの高校生の旅日記にしては老成した感は否めないけれど、それでも、楽しい読み物となっている!

 

 

【主な旅程】

 

羽田空港→《エジプト航空》→バンコク、ボンベイ、カイロ、ローマ→チューリッヒ[ユースホステル泊]、シャフハウゼン→《列車》→シュツットガルト→ミュンヘン→チェコスロバキア(プラハ)→ポーランド(ワルシャワ[ユースホステル泊])→《ポーランド航空》→ハンガリー(ブダペシュト[ペンフレンド宅、ホテル泊])→《ルーマニア航空》→ルーマニア(ブカレスト[ホテル泊])→《夜行寝台列車》→キエフ→モスクワ→《飛行機》→ブハラ、タシケント→《飛行機》→ハバロフスク→《夜行寝台列車》→ナホトカ→《ソ連客船バイカル号》→横浜

 

 

 

十五の夏 下 (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

先生と私 (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤優の4年後に生まれ、同様にロシア語に興味を持った高校生が、1年生の秋から1年半、新宿にあるカルチャーセンターでロシア語を学んだ。そして、1982年早春、東京代々木にあったミール・ロシア語研究所を訪れた。

 

黒田龍之助である。

 

 

ロシア語だけの青春 (ちくま文庫 く-26-4)