「命のビザ発給」再考 | DVD放浪記

「命のビザ発給」再考

TBSラジオが月~金の帯番組として放送している「発信型ニュース・プロジェクト “荻上チキ Session”は、以前は22:00からの番組だったが、現在は、15:30~17:50 に繰り上がっている。
“荻上チキ Session” ?

 

 


今日の番組のメインコーナーでは、東京理科大学教授の菅野賢次氏を招き、かつてリトアニアの日本領事館領事代理を勤めていた杉原千畝「命のビザ発給」として “伝説化” している事象について、1940年当時のリトアニアの状況を踏まえながら、新たな光を当てている。


菅野氏の専門はフランス文学。そのなかでユダヤ人問題に興味を持つようになり、在外研究で行った、オーストラリア在住の(日本経由の)ユダヤ難民兄弟(姉弟)へのインタビューをきっかけに、このテーマに取り組むようになった。

菅野氏は、アメリカのJDC(American Jewish Joint Distribution Committee)のアーカイブ文書を丹念に追い、1940年当時のリトアニアの状況を時間軸を追って再現することができたという。
アメリカ・ユダヤ人共同配給委員会

その結果、ビザ発給は、ナチスドイツのユダヤ人虐殺に直接起因するものではなく、ソ連化されるリトアニアから逃れようとするユダヤ人を助けるためであって、杉原千畝のことを、ホロコーストそのものからユダヤ人を助けた “第二のシンドラー” であるとするのは、歴史的な事実とは異なるのではないかと考えるに至ったという。

当時のヨーロッパは、ファシズムと共産主義に二分されようとしていた時期で、1940年6月にソ連はリトアニアに無血入城している。それによって資産没収、宗教放棄、思想的改宗などを迫られることを恐れたユダヤ人たちは国外脱出への道を模索するが、諸般の状況から、とてつもない遠回りながら、日本経由でのルートを求めざるをえなかった。

杉原千畝も彼らの窮状を理解し、善意から、手続き上の多少の不備は見逃して通過ビザの発給に努めた(これは動かぬ事実)。ただ、菅野氏によれば、発給手続きに必要な規則は守るよう要請はあったものの、ユダヤ人へのビザ発給を停止せよといった指令文書など、本国外務省との決定的な軋轢を確認する文書は発見できなかったという。

つまり、伝えられる「命のビザ発給」伝説には、事実と重なる部分もあれば、事実と異なるところもあり、冷静に検証する姿勢が必要だというわけである。


私は今日の番組を聞き流しただけで、菅野氏の著作を読んだわけではない。でも、「杉原千畝は、ホロコーストからユダヤ人を救い出した」という “言説” をママ単純に拡散することはヤバいかもという印象を抱いた。興味のある方は、radiko などで実際に番組を聴くか、彼の『「命のビザ」言説の虚構』を読んでみていただきたい。 <(_ _)>