大いなる "「夜来たる」愛"
須藤靖(すとう・やすし)センセイは、自著のなかでアイザック・アシモフのSF短編「夜来たる」に言及されることがハンパなく多い。ご本人にもその自覚はおありのようで、たとえば、実に味わい深いタイトルがつけられたエッセイ集『情けは宇宙のためならず』のなかにも以下のような一節がある。
私がしばしばとりあげるアシモフのSF短編小説「夜来たる」では、6つの太陽を持つ惑星ラガッシュが舞台となっており、そこに住む人々の世界観が背後の法則の理解とどれほど密接に関係しているかが簡潔かつ鮮やかに記述されている。
「再現性のない世界」より
私が須藤センセイのお名前に接したのは、岩波科学ライブラリー152の『ブックガイド〈宇宙〉を読む』が初めてだったと思う。
その本のトリを飾ったのがセンセイの「夜空のムコウに思いをはせる」で(もしかすると、単に原稿の到着順だったのかもしれないけれど)、センセイは、「夜来たる」のストーリーをラストのオチまで実に懇切丁寧にバラされていたのだった。(^^;
センセイは、J・D・バローの『宇宙のたくらみ』で「夜来たる」の存在を知ったものの、当時邦訳は入手困難で原語でも絶版。結局、古くからの友人であるプリンストン大学教授が自身で所有していたアシモフの Nightfall and other stories を譲り受けたのだという。
ちなみに、「夜来たる」以外にセンセイが推されていた書籍は、佐藤文隆氏の『火星の夕焼けはなぜ青い』と『雲はなぜ落ちてこないのか』の2冊だったが、これは別にセンセイが岩波書店に忖度されたからというわけではないと私は思う。
この「夜空のムコウに思いをはせる」は、後に大幅に加筆・修正のうえ、『三日月とクロワッサン』に収録されているが、そこにセンセイはこう記されている。
『夜来たる』の本質は、「見えているものだけが世界のすべてではない」という点にある。「見えない」ことと「存在しない」ことは同一ではないにもかかわらず、あえてそれを踏み越えて見えないものの存在に思い至ることは容易ではない。 《中略》 天文学の歴史は、このような見えないものを発見することによって新たに切り拓かれてきたし、これからもそうあり続けるであろう。この意味で、『夜来たる』は単なる知識などではなく普遍的な「科学する心」を伝えてくれる第一級の天文学の教科書でもある。
「夜空のムコウに思いをはせる」より
だからこそ、センセイは、以後の自著のなかでこのアシモフの「夜来たる」を繰り返し取り上げ、そのストーリーを紹介されてきているのだろう。あるときはごく簡潔に……。
アイザック・アシモフは出世作ともいえる有名な短編『Nightfall』(邦題・夜来たる)において、6つの「太陽」をもち、常に昼間しかない惑星を考えた。しかし、たまたま1個の太陽だけが空に昇っているときに内側の惑星が起こす「皆既日食」の結果、2049年周期で「夜」がめぐってくる。この短編は、夜のない惑星に生まれている人々は外の世界の存在に気づかないこと、さらに、つかの間の「夜空」を埋め尽くした満天の星々が彼らの世界観を根底からくつがえすことを教えてくれる。私の大好きな話の一つである。
あるときは、高知新聞連載記事第一回のつかみとして……。
アイザック・アシモフは、数多くの優れたSF小説を送り出した有名な作家であり科学者です。その彼を一躍有名にさせたと言われているのが、1941年に発表した『Nightfall(夜来たる)』です。アシモフは、その短編小説の中で、まさに夜のない世界を考えました。
舞台は、六つの太陽をもつ惑星「ラガッシュ」。そのためラガッシュには常に異なる方向から光が降り注ぎ、人々は「夜」を知りません。ところが、古くから伝わる神話によれば、ラガッシュは約2000年ごとに真っ暗な洞窟に入り「夜」を迎えることになっています。天文学者たち(夜のない惑星になぜ天文学者がいたのかは謎なのですが……)は、この言い伝えが、たまたま空に一つの太陽だけが昇っている時にラガッシュの公転起動の内側にあるもう一つの惑星が皆既日食を起こす周期と一致していることに気づきます。彼らの予想が正しければ、あと一時間ほどで日食となりラガッシュが「夜」を迎える。それがこの小説のはじまりです。
さて、皆さんもラガッシュの人々になったと想像してみてください……《以下略》
『この空のかなたに』「1 世界を支配するダーク」より
そして、またあるときは、ブルーバックスの読者に向かって滔々と……(^^;
SF作家としても著名なアイザック・アシモフの出世作とされている短編が『Nightfall』(邦題は『夜来たる』)です。その舞台は、6つの「太陽」に囲まれた惑星ラガッシュ。その空には常に複数の太陽が昇っていますから、ラガッシュには「夜」がありません。その惑星の住人はどのような宇宙観を抱くのか、一緒に想像してみましょう。
「まえがき──ラガッシュから見た宇宙」より(以下同)
なかほどは省略して……(^^;
ここで、再び『Nightfall』に戻りましょう。実は、ラガッシュには昔から伝わる神話があるのです。それによれば、ラガッシュは2049年ごとに一度だけ真っ暗な洞窟に入り、「夜」を迎えることになっています。そしてこの「夜」の間に、ラガッシュがそれまで築き上げた文明はすべて焼き尽くされ、失われるというのです。ただし、その「夜」の間には、空に「星々」が現れるとも伝えられています。 天文学者は、この「夜」が、たまたま空に太陽が1つだけ昇っているときにラガッシュとは別の惑星がその前を通過し「皆既日食」を起こす現象に対応することを突き止めました。彼らの計算によれば、数時間後にはラガッシュに「夜」が訪れるはずです。『Nightfall』はそこから始まります。 「夜」を知らない住人は、ラガッシュが暗闇に包まれるという恐ろしい状態にはとても耐えられません。あたりのものをすべて焼き尽くすことで、なんとか明るさを保とうとします。そして徐々に太陽が暗くなり、完全にその光が隠された瞬間、彼らは空を埋め尽くす無数の星々を目の当たりにします。
さらに省略……。
「夜」を知らない住人は、ラガッシュが暗闇に包まれるという恐ろしい状態にはとても耐えられません。あたりのものをすべて焼き尽くすことで、なんとか明るさを保とうとします。そして徐々に太陽が暗くなり、完全にその光が隠された瞬間、彼らは空を埋め尽くす無数の星々を目の当たりにします。その瞬間、主人公は呟きます。
Stars – all the Stars – we didn't know at all. We didn't know anything.
(星々だ。世界は星で満ちている。全く知らなかった。我々は何も知らなかった)
このストーリーの深さは、これだけでも十分感じていただけたことでしょう。さらに、この設定のどこにも難しい科学知識が必要ない点も驚異的です。この地球に夜がなかったとしたら? あまりにも当たり前すぎて不思議だとすら気づけない事実の奥に、この世界を理解する本質が潜んでいることを見抜いたアシモフはさすがです。 上述の独白に引き続く段落の最後は
The long night had come again.
(ついに長い夜が再び訪れた)
という一文で締めくくられ、『Nightfall』は終わります。アシモフは、ラガッシュの宇宙観がどのように変革したのかをぐだぐだと述べる愚はおかしません。
もはやこの世に、須藤センセイの大いなる "「夜来たる」愛" を疑うような不届き者はいないに違いない。まあ、どこかの並行世界にはいるかもしれないけれど……(^^;
※
では、その「夜来たる」とやらを読んでみようかとお考えの方は念のためにまずこちらを……⬇