『ララランド』を蹴ってまでエマ・ワトソンはこの『美女と野獣』に出たかったらしい。そこまでして思い入れが強いかそうか見てみようぜ、と映画館に乗り込んだ僕を待ち受けていたのは複雑に絡み合う悲劇だった。そんな『美女と野獣』の話です。



  そういや数年前にも『美女と野獣』は映画化されたがあれは原作の映画化であり、今回はディズニーアニメの映画化なので名前は同じでも実質別物である。なんてったって今回はミュージカル。アニメの方はアカデミー賞にもノミネートされた名作だから期待は自然と高まるよね。デートムービーとして最適でしょ!嫁さんと観に行ったぜ!(僕は本当は『ハードコア』が見たかった)
  そして始まるオープニング。以下、僕の当時の心境を主観的に書く。お察しください。

 ベルが高らかに状況説明をしてくれているぞ。そうか、女に教養なんていらないと思われていた時代なのか。ふーん、へえー。この時代のフランスに黒人がいるのかえ。あー、ロバを使って自動洗濯マシーンを作ったのね。へえー……あー、あれはガストンか。ケツアゴじゃねえんだ?
横にいるのはディズニー映画初のゲイキャラのエミールだな。動きがジャックブラックそっくりだな。もうジャックブラックにやってもらえよ……あ、ガストンよく見たらルーク・エヴァンスじゃん。おまえ、『ドラキュラゼロ』に戻りやがれ。
ふーん、へえー……あ、オープニング終わった。


というわけでお分かり頂いたと思うが、オープニングが絶望的につまらんのである。しかしアニメの方では別にそんな気はしなかった。おそらく、アニメは「アニメだしね」という前提が心にあったからだと思う。いや、まて、それでも他の作品と比較してもあのオープニングは出来が悪かったな。


  そもそも『美女と野獣』は良い意味でも悪い意味でも『ララランド』に引き摺られている。つまり、『ララランド』を見て「ミュージカルって面白そう!」とミュージカルへの抵抗を排除された人が劇場に来ることになった。だが『美女と野獣』のオープニングを見せつけられて「ララランドの方がオープニング良かったなー」と思われるのである。同じ時期にミュージカルが二つ出てくるってのは稀有なことだが、起きてしまったからには仕方あるまい。


  でも観客はオープニングが始まった瞬間に期待するよね。「これからどんな話が始まるんだろう」と。たとえば『ヘアスプレー』の「Good morning Baltimore」とかね。「この女の子がどんな状況に見舞われるのだろう」って思うよ。というかあの歌、かなりどうでもいいことを歌ってる。「腹へった」とか「バーで人が飲んだくれてる」とか。

 

 

 でも、太ったトレーシーって名前の女の子がなんか楽しそうにしているのだけはわかる。時代背景、人物設定、それをショットで見せて歌にのせて流す。だから、その世界に強く惹き付けられる。単なる説明に止まらない。


 『ララランド』の「Another day of sun」なんかは真逆で、高速道路の渋滞から突如として歌が始まる。しかも歌ってる人は主人公でもなんでもない。このシーンにしか出てこない人たち。それでも周囲を巻き込んでミュージカルが始まるっていうその絵面には凄いパワーがあった。何も説明しない。感性で「こういう世界です」とぶつけてくる感じ。「えれえモノが始まったぜ!」と僕たちに期待させてくれる。

 

 

 


  対する『美女と野獣』のオープニングは引き込む力が弱かった。「あら、そう」という感想しか生まれてこなかった。残念。というかのっけからこれかよ、と不安に思ったが実は隠れ名シーンがこの映画にはあった。

  ベル絡みのシーンは殆どつまらない。あの舞踏会のシーンもこんなにつまらなくなるのかと違う意味で感心した。
ただー、先述のガストンが絡むシーンはだいたい面白い。なぜならガストンは悩まない脳筋だからだ。酒場で高らかに歌い上げて「俺は男前で腕っぷしも強いぜ!」と言って憚らない様は映画ならではの馬鹿馬鹿しさに溢れている。そして、エネルギッシュだ。みんなで酒場で楽しそうに歌うからこっちもなんか楽しくなってくる。
「真実の愛を見つけないと死ぬ」的なバケモノがお城で引きこもっている間に、街中では馬鹿が楽しく酔ってるんだぜ。
その馬鹿の方がよっぽど人間らしいわ。
そう、ミュージカルとは「楽しそうだ!」と思えるシーンが素晴らしいのだ、たぶん。
というわけで敵役の方が魅力的という本末転倒なミュージカルだと思ってくれ。
しかし、実は、それだけではない。
今作においてもっとも重要な課題は解決されないまま話は進む。
それは「エマ・ワトソンがベルに見えない」という根本的な課題である。

だって、ずっと不敵な笑みを浮かべたままなんだもん。
あれ、ベルって不敵な笑みを浮かべる人だったっけ?画像検索をした結果、そうでもなかった。
たしかにディズニー映画が女性の立場を反映させて「意志の強い女性」を出そうとするのはわかる。だけどさ、だからって、ずっと眉を潜めて片口上げてるニヒリズムを貫かなくてもいいんじゃないかな……
いやもうこれ今後、エマ・ワトソンがどの映画に出てもそう見える気がする。いつでも自信満々に不敵な笑みを浮かべるあれ。
たぶん、悪女役には出来ないど正面な不敵さは使い所が難しいだろうな。
本人はフェミニストだから男に媚びるような笑顔は出来ないだろうし。
関係ない話だけど、この人って顔が男前だからまるで性的な感じがしないよね。

さあ、こんなにグダグダと書いているが世間の中では評判は悪くない。
むしろ僕の周りには高評価を下す人も多かった。