どうも。弐番です。


04年にフランスで製作されたエコールという映画があります。


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はっきり言ってしまえば、これはロリコン映画

いや、ペドフィリア映画といってもいいでしょう。

もしくは児童ポルノ

そう呼んでも過言ではないだろう。
(破壊屋の管理人、ギッチョさんはこう言っている。「チャイルドポルノだ」と)


さて、いろいろな人が語ってきている現状。

僕の口から言えることは多くはない。

ただ、言えることがある。


映画としてまるで面白くない


あらすじを追ってみようか。

深い森の中、少女たちが学校に通いながら生活していた。そこでは異性の姿は無く、バレエの発表会のときのみ外部から客がやってくる。

しかし、少女たちは次第に外の世界への憧れを募らせていく。


以上。単純にして明快なストーリーである。

物語はアジア系の女の子が棺の中に入れられて運ばれてくるところから、始まる。

のっけからやたらと物騒な映画である。棺でやってくるとか、吸血鬼なのだろうか。

それとも、「死んだ者としてやってきた」のかもしれない。

多分、この作品は「生」と「死」と「性」をやたらと扱う。

象徴的なのは、蝶の標本を作る先生がいること。

蝶はキリスト教的価値観において「再生」を意味する生き物。

性によって生まれた存在の生が行き着く先である死と、さらなる再生。

それを暗示しているのかもしれないけど、全体的な不快感が僕を苦しめるので、そんなことを考えることができるようになったのは視聴後3時間経過してからだった。

で、面倒だから先に言うけどエコールっていうのは僕の解釈だと

売られた女の子の花魁養成所

だと思う。

蝶の格好をして最後、男たちの前でバレエをするのは

「もう脱皮しましたよ」

という意味だと考えている。

少女から女へとなりました、という意味だ。

だからエコールから卒業していく。

売られていく。


これが僕の解釈。どうしてこう解釈するかというと、全体的に映画に漂う不穏な空気というかグロテスクな雰囲気に激しく不快感を覚えていたからだ。


▪︎エコールの不快感

 僕は映画が好きだ。映画好きと言ってもいいくらいの知識はあるような気がする。

 あと、偏っている。映画のアレコレとソレコレの ソドム対ゴジラ さんに言わせると「宇宙人とマシンガンが出る映画が好きなやつ」なのだそうだ。大肯定。

 最近の口癖は「アオハライドとかヒロイン失格を嬉々として見にいくやつとは友達になれない」です。

 もちろん、普通の映画だってみますよ。だから僕はアクション映画じゃないから、といって拒否するような人間ではないことを覚えておいてください。ちなみに映画における表現にはかなり寛大です。子供が映画の中で死のうが、老婆が犯されようが文句言いません。映画の中だし。

 そんな僕が『エコール』の中で不快に思ったこととはなにか。それはたった一つのことです。

 少女の体

 ですよ。

例えばバレエを練習するシーン。

白いレオタード一枚である。

いや、スパッツとか履けよ。履かせろ。
(ハイキックガールはスパッツを履いた意味がなかった。エアマスター級にぶっとんで欲しかった。でもクソ映画だ)

レオタードは体のラインを強調する服である。だから幼女にそんなもの着せてもスティックのりが服を着ているみたいで、違和感しかなかった。

子供のバレエは確かに微笑ましいから、スパッツを履かせろ。



裸で水浴びのシーンもある。大量の幼女がバチャバチャと川で水浴びである。必要か、このシーケンス。

(劇中、一人の女の子が脱走を謀るも溺死する。泳ぎを知らないのに水辺に行くなよ)



もう、少女というか幼女を「女」として撮っているから不快なんだろうな。
「そう感じるお前が歪んでいる」と言われたらそれまでだが、全体を通して描かれるテーマが「少女が女となっていく過程」である以上はそう見ざるを得ない。
無邪気さや美しさは他のところで描け、とも思う。


▪︎そもそも少女の美しさってなんだ

 モデルの平子理沙さんがいうには「出るところは出て、引っ込むところが引っ込んでいる」のが女の美しさなのだそうだ。カーヴィーってやつかな。

 それがない少女は果たして美しいのか。

 ある人は言う。「少女の裸は美しいのさ」

 ん? んー。 まじで?

 こればっかりは僕にはわからない。でも少なくとも6歳とか12歳を女としてみることはできない。

パヤオ先生ならできるかな。



▪︎パヤオ先生と大林監督

パヤオ先生も大林監督も日本が正解に誇るロリコンである。

しかし、ペドフィリアではない。

あれは「少女との恋を夢見る」ロリコンであると思う。
多分、不思議の国のアリスの原作者、ルイス・キャロルはそんな感じ。

実は心理学的に見て少女との恋は「一度ならたまたま偶然である」とされている。(いや、まじで)

だから映画では徹底して「純情さ」を描いているのだろう。

そういう人にこの作品を見せたら怒り出すのかもしれない。

彼らにとっては「少女」と「女」はまるで別物なのだから。

それと同時に、パヤオ先生の作品は「姉さん女房」てきな強い女性も多く出てくる。

きっと、そういう女性に引っ張られたかったんじゃないかな。




▪︎で、結局面白いのか。

映画『エコール』は結局、どうなのだろうか。

何度も言うけど面白くない。

これが映画として致命的につまらない。

ドラマがない。

いや、あるんだけど描き方が下手。

それ以上に不快感が強い。


自分が正常な人間だと再確認できる、という意味では貴重な作品である。

たまに見て「うわあ」ってなるくらいが丁度いい距離感で付き合うことができる。

ちなみにこれを嬉々としてみる人とは友達になれないだろう。