どうも。チョンチョリンチョの語源って何だろうね?弐番です。
この現代社会の中で、自分の存在を見失う人が増えていると思います。
他人に何の作用もせず、生きているような死んでいるようなそんな生活。
挙句の果てには、透明人間だなんて人を刺し殺す奴まで現れる始末。
しかし、僕は、今、確かにここに存在しているのだなと思います。
脚本を書いているとき、バイトしているとき、空手しているとき、僕は確かに存在をしています。
悔しいやら、面白いやら、嬉しいやら、面倒やら・・・とにかく、沢山の感情をかみしめることで、
「死んだらこういう思いはできないな」と感じます。
朝日新聞のねつ造記事に憤ってみたり、報道ステーションの倫理違反に憤ってみたり、
福島みずほに呆れてみたり、いろいろな感情は生きているからこそ生まれるものなのでしょう。
「中学部には椿井くんが必要なんですよ」と英語の先生に言われ、「そうか。僕も必要な人間なのか」と思えることができました。
それは、誰かの役に立つために一生懸命・・・いや、そこそこ・・・うーん、微妙に勉強し、全力で空手をしてきたからだと思います。
そら、一日中ひきこもっている皆さんとは、場数が違いますね。
別に自慢しようってんじゃないんですよ。
ただ、誰かに必要とされる人材で良かったなと思っただけです。
そう思えることが、幸せなんですよねー。