
どうも。電車の暖房がヤバいくらい熱い...弐番です。
不老不死があるとして、
それになって、
一体、何を望む?
「移りゆく時代を見届ける」と誰かは言った。
それは、自らが下卑た存在になる事を宣言しているようなモノだ。
時代を見届けるのは、傍観者になる事だ。
いや、なりさがる事だ。
得た不老不死が生み出す結果が時代の傍観者に成り果てる事なのか。
成って果てる事なのか。
不老不死になって、何を望む?
絶対の存在になれば、得る者は多い。
しかし、僕はなりたいとは思わない。
年を取らないという事は、自らの可能性を縮めること。
永遠に巡る世界を見渡して、何が楽しいか。
死ねないというのは、辛い。
老いないというのは、更に辛い。
愛する者と手を取り合って老いていくという事が出来ない。
愛する者が醜く果てていく姿を眺めるだけ。
眺めるだけ。
悲観して死ぬ事も出来ない。
時代の、いや、世界の傍観者だから。
主体は存在しない。
それが自らの人生だとしても、だ。
いや、自らの人生など存在しなくなってしまうだろう。
生の理から外れるのだから。
僕らの人生など、刹那でしかない。
僕らからすれば、永遠に近い長さだが、地球の歴史から見れば瞬きの様な瞬間でしかないだろう。
そんな時間だからこそ、全力で生きる。
生きて、生きて、生き抜いて果てていく。
だからこそ、辛い。
そうだから楽しい。
老いる喜びを、愛する者と分かち合いたい。
不老不死なんざ真っ平御免だ。