祈りの場所が好きです。


心もアタマもせわしい時間があまりにも多いから。


祈りには特定の「場所」は必要であるとは思わないのですが

そのために特別の用意された場所、つまりは神社やお寺、教会は

祈りの専用スペースなので、落ち着いて心を静めることができるように思います。


祈りとは魂を静め、心に平安を導くものだと思うから。


清里にある聖アンデレ教会は、そんな安らぎの教会の一つです。
スピリチュアル散歩放浪記

清里の開墾を支えた人々の精神的支柱となった教会は、

質素で素朴な、高原の小さな教会です。



スピリチュアル散歩放浪記
戦後まもなく建てられた聖堂は、日本人に合わせて畳敷き。



スピリチュアル散歩放浪記

和の建築の中に、石を積み上げた祭壇がしつらえてあります。

小さな素朴な信仰の場所。


大きく目を見張るような見事な教会も好きですが、

私は祈りの本質は、このような小さく素朴な、

日々の生活の中にこそ、あって欲しいと思います。


清里開墾を指導したポール・ラッシュ氏は関東大震災に見舞われた

日本キリスト教会(YMCA)を立て直すためにアメリカから派遣され、

立教大学で教鞭をとります。


太平洋戦争により本国へ強制送還されますが、

戦後、日本の復興のために再度来日し、

清里において農業指導を行いました。


スピリチュアル散歩放浪記


震災による荒廃、そして戦争による荒廃、

日本における二つの大きな荒廃において

復興の指導者として力を注いだラッシュ氏を思うと、

キリスト教においては、「受難」と「情熱」が同じ言葉(passion)であること、

受難を超えてゆくのは情熱であることを強く感じます。