大袈裟かよ、、、えー


と思われるかもしれませんが、

自分が明日の朝、確実に目覚めるという

保障はどこにもありませんし、

なんなら

未来永劫ではありません。




人はいつか終わりを迎える。




だから人って

「美しくもあり」



そして

「淡い」存在



スタバでの一瞬の出来事に対して

私は今から言わなくてもいいことを
彼女に言うのかもしれない、、、


 TODAY'S だけど、私が残り3日の命だったら、、、猫あたま



うん、絶対に言う炎


勇気をふりしぼって言う!!




この目の前にいる素敵な行いをしたこの尊い存在を褒めたたえたい。



だから私は彼女に対して


「あなたの素敵な行いを拝見していました。尊敬します」と


言えることができました。


いつかこの素敵な彼女にも辛い時期が
訪れたときに、

  
「私、スタバで全然しらないオバサンに尊敬します。って褒められたな」


この世も悪くないかと
彼女の世界の見方をかえるために

一役買った存在になれればいいなと
思います。

とにかく若い彼女の素晴らしい行いに


私は心が震えました。




多くの人は幸せな象徴や成功者のシンボル
そういった刺激を求めがちで、

刺激の無い毎日がダメかのように
感じている人もいる。

しかし、

何気ない日常にある幸せ


単調な毎日にこそ幸せは散りばめられていて


当たり前になり過ぎて見落としてしまう。



いつも幸せは近くにあって、

感動の物語がすぐ隣にあることに気づくことができればそれは幸せです。


「今、ここ」

この瞬間、瞬間を味わって生きる。


だから大袈裟かもしれませんが


どちら側で生まれたいかも


残り3日の命だったらということと
合わせて考えるようにしています。


どちら側で生まれたいのかということを問う



私は素敵な行いを実践している方をみて
自分の勇気の無さや
人の目を気にして
何も声がけしない側で生まれたくない。

誰かに変な目で見られても
勇気を出して
素晴らしい行いをする方に
お声がけして

キラキラ「尊敬します」

キラキラ「スゴイですね」

キラキラ「素敵です」

って言える側で生まれたいと思います。

みなさんはどちら側で
いたいですか??

どんなことを選択して生きていきたいですか?



人生は選択の連続の積み重ね。


完璧なことは私にはできませんが
My best自分のやれる範囲で

残り3日の命だったらと自分に遺書を書くように生きていきたい。