
じゃなくて…、
以前、ベースに挑戦していたことがあります。
弾いていた のではなく、挑戦していた です。
まあ、全然、弾けるようにはなれませんでしたが…。
良い機会なので、ベースについて少し記しておくことにします。
私はいつか、自分でも音楽を嗜みたいと思っていました。
何故ベースに触れることになったのかは、すごく長いので割愛させていただきますが、ベースという楽器は自分には向いていないと感じ、弾けるようになるのを諦めてしまいました。
・ベースの音は聞き取れない
私はベースの音があまり聞き取れません。これから自分が何を弾くのかイメージができないというのは、重大な問題でした。
それなりのコンポやヘッドフォンなども使い、ベースの音を何とか拾おうとしましたが、思うようには聞き取れませんでした。
楽譜に書かれた内容を弾いてみても、合っているのかどうかがよくわかりません。
一小節?弾けるようになるにも苦労しました。
間違えずに一曲弾けるようになるまで、半年近くかかるペースでした。
それでも、合っているのか、正しく弾けているのかどうかがよくわかりません。音の良し悪しも演奏の良し悪しもわかりません。
私には、リズム感もなく、手拍子も満足にとれませんので、八符刻みではない部分などは、どう弾いていいのか全くわかりませんでした。
わからない部分は、それなりに調べたりもしたのですが、結局、わからず終いでした。演奏の楽しさを見つけ出す余裕もなく、4~5年程で私はベースという楽器に別れを告げました。
ベースは、音楽に対しての疑問や苦悩、劣等感などを教えてくれました。
・ベースの話題からの苦悩
何かの曲について、
「この曲、ベースラインが良いよね。」
なんて同意を求められても、そもそも私には聞き取れないので、
「聞き取れないからわからない。」
としか、答えようがないわけです。
ベースラインと言われても、それがよくわからないわけです。
「ベースが有ると無いとでは、(肯定的な意味で)全然違う。」
さすがに、ベースの音が有るのと無い状態を聞き比べれば、多少の違和感が生じて、有無は何となく認識できます。ですが私の場合、ベースが無い方が音がスッキリしていて心地よく感じる場合があります。雑音が無くて音が聞きやすいような感じに似ています。誤解の無いよう書きますが、ベースの存在を否定したいのではなく、ベースの素晴らしさを感じることができない自分が嫌なのです。多分、低音に対して、無意識に拒否反応を示している部分もあるのだと思いますが、そんな自分の耳(脳)が嫌なのです。
「カラオケとかで歌う時にドラムとかベースの音を聞かない?」
これもよくある意見なのですが、私の場合、ほぼ聞きません。というか、歌っている時には、声を作って出すことに全身全霊を注いでいるため、さらに聞き取れません。何を聞いているのかというと、ほとんど自分の声です。歌い出しのタイミングなどの確認で、他の楽器の音を聞く程度です。音楽を聞く時も、音が重なっている箇所は下記の順位で聞こえます。
ボーカル(主役)
キーボード(シンセ)orストリングス(ほぼ主役と同等)
ギター(歌が無い箇所では主役か準主役)
↑
ここの間は、けっこうな差が存在
(上のパートはフレーズをある程度口ずさめる)
↓
ドラム(時々シンバルなどが聞こえる程度)
ベース(ほぼ聞き取れません)
ベースは内政的な役割も大きいことでも有名ですので、歌う時に、和音やメトロノーム的な意味でリズム隊の音を聞くということだと思うのですが、そもそもカラオケは機械が演奏しているので、どの音でも狂いは生じないと思うのです。実際の演奏では、各パートの担当者の演奏レベルや音響、曲に左右されるものだと思うのです。要は、ドラム、ベースに意識を集中しなくても、臨機応変に意識を切り換えることで、成立は可能だと思うのです。
「この、低音が良いんじゃん。」
「聞くというより感じる。」
純粋に低音が好きな人が言うのはいいのですが、この手の話題になると、音楽に詳しい方が格好が良いと思い込んでいるのか、通を気取る人が一定数存在するので、とても厄介です。何故厄介なのかというと、そういう人達は、こちらが納得できる説明ができる程の説明能力が無いからです。なので、最終的には、
「意識しないと聞こえない。聞こうという意識が足りない。」
という悪い意味での精神論を出され、お説教を受けるわけです。
しかし、そういった精神論を持ち出す時点で、自ら説明ができないことを認めたも同然なわけです。ベースの存在を自ら、意識しないと聞こえない楽器という形で論じてしまっているわけです。実際にベースを聞いているのか怪しいものです。
「ベースが無いと音がスカスカになる。音に厚みが無くなる。」
聞き比べれば違和感が生じていることに気がつくので、厚みの有無は分かるのですが、それが良いのかどうかは別問題です。
そもそも音に厚みを必要としているのかどうか、それが心地良いのかどうかという点に個人差があると思うのです。音楽の楽しみ方って、本当に人それぞれ異なりますので、厚みを求めるかどうかも聴き手次第であると思います。また、音楽のジャンルによっても異なる部分でしょう。
・時折浮上しているベース不要論
もはや現代では、各ジャンルのルーツからの派生により、音楽に正解の形が定まっているかのような状態にあると感じます。ベースが無いと物足りないというのが、当たり前になっている部分もあるのでしょう。バンドサウンドは普通はこうあるべきだという、先入観や集団心理が働いているのも事実あると思います。
しかし、常に一定数、ベースを認識できないという人は存在し、不要論が持ち上がります。議論では大体、ベースが聞こえるという人、ベースの役割を真に理解できている人、わかっている風の人に分かれると思いますが、自分の考えとしては、必要か不要かの二択ではなく、曲の展開によっては必要、曲の展開によっては不要、使い方次第であろうと考えます。これはベースに限らず、ボーカルも含めて、どんな楽器、ジャンルにも当てはまることかと思います。
私は、曲によりますが、ベース無しの方が、他の楽器の音がぼやけず聞きやすいと感じる曲もあります。確かにベースが抜けた分、音に空白(微かな静寂)が生まれるのですが、それによって、他の音がぼやけずクリアに聞こえます。結局は、好みの問題であるというのが、私の考えです。ベースのことを、音に厚みを持たせる重要な楽器と考えるか、音をぼやかす不要な雑音と考えるかは、聴き手の好みの問題ではないかと私は思います。ベースに限らず、どんな楽器も、使い道を誤れば雑音となるでしょう。一つの音が消えたことで、スカスカと捉えるか、クリアと捉えるかの違いです。さらに、演奏者や作り手であれば、ベースに限らず、使う楽器を、音に厚みを持たせる重要な楽器に化けさせることができるかどうかが課題になると思います。楽曲の中で、単にそれらしくするだけの使い方しかできないのであれば、どんな楽器であれ、不要論を出されても無理はないでしょう。低音であり、スピーカー環境的には不利な状況下にあるベースにそれが向けられやすいのも事実あるでしょう。
料理の味がぼやけているなどと表現することもありますが、料理でも不要な味付けや工夫をすることで、逆効果をもたらすことがあると思います。そういった現象が音楽にも生じている部分もあるかと思います。同じ曲でも、ミックスの異なるバージョンがアルバムに入っていたりするのは、そういった関係であると認識しております。
と、音が重なる中で、ろくにベースが聞き取れない私が言っても説得力はありませんね。結局のところ、そんな自分に劣等感を感じ、嫌なわけです。