REOBLOG(GID MTF)

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REOです。GID-MTFです。私が日々思ったこと、感じたこと、考えていること、MTF、GID、トランスセクシャル、セクシャルマイノリティに関すること、散文詩、等々 自分のペースで綴っていきたいと思っております。

GID、MTF、特撮、好きなもの、感じたこと、等々 自分のペースで書いております。
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・逆上がりという挫折感を味わう苦行
逆上がりは私にとって天敵のような科目でした。何しろ、人生で一度も成功したことがありません。 

逆上がりを成功させる上で大切なことは、肘を曲げること、へその辺りを鉄棒になるべく近い状態とすること、顎を引くこと、足を上へ蹴り上げることなどとききますが、意識していても、それらを克服できないので、成功できないわけです。

先ず、問題は自身の腕力でしょう。肘を曲げることができるということは、自分の体重を支えるため、それなりに腕力を要するということです。それができないので、足を上へ蹴りあげようと、へそと鉄棒を近づけることも不可能なわけです。

腕力や握力が無いため、顎を引こうが、腕力では自身の体重を支えられず、腕を伸ばさざるをえない、離れたくなくても、重さで身体が鉄棒から離れてしまうわけです。ひどい時は、鉄棒を握る手すら放してしまいそうになります。

私は子供の頃から身体を動かすことが嫌いでした。幼少期に身体を使って遊ぶことで、平均的な筋力が養われるようですが、外で身体を使って遊ぶことは、ほとんど無かったインドアな子供でしたから、腕力も握力も腹筋も養われなかったのだろうと思います。

逆上がり不要論とは言いませんが、何故大人達は、逆上がりにそこまでこだわるのか?みたいな疑問は常にありました。
当時の教育には、苦労して成功をすることで、達成感を与えたいという思惑もあったのでしょう。
ですが、別に成功しようが失敗しようが、達成感とかそんなものは感じたくない、それよりも、成功までの苦労という道のりが嫌だという子供も一定数存在すると思うのです。少なくとも私はそれでした。そもそも学校に通うだけでも苦だというのに…。

逆上がりなどで、生徒は大きく分けて、以下に分けられます。

1.すんなり成功する生徒
2.練習の末、成功する生徒
3.練習しても成功しない生徒

思うに、1と2の生徒は、その後の人生でもつまづくことなく、スムーズに世を渡っていけたり、困難に直面しても克服できることでしょう。
教育者の思惑としては、2へ導きたいのは理解できますが、いつの世も、3の生徒は一定数いると思うのです。
やる気に多少の個人差はあれど、努力しても練習しても、報われなかった生徒には、これといった救済処置も無く、逆効果を与えるのではないかと思うのです。努力しても、練習しても、どうにもならないことがあるというネガティブな要素を植え付けられるわけです。さらに、大半が成功している中で、自分は人より劣るという劣等感も植えつけられます。

これは逆上がりに限らず、体育の授業全般に言えることだと思います。さらに私は体育の授業に限らず、あらゆる分野で、3に該当した生徒でしたので、入学当初、わずかにあったポジティブさは早々に摘み取られ、学校という場所は、苦行の場となったわけです。

そう、まるで、できないことが罪であるかのごとく、できない生徒は、そういった苦行を強いられ、できるようになりたいという気持ちすら失い、心の中ではチャイムが鳴るのを待つようになります。

チャイムが鳴っても、結局は授業外で逆上がりができる生徒達にバカにされてしまったり、親に公園などで逆上がりの練習をさせられたりするのです。私にもそういった経験がありました。

そうした中で、現に私がそうであったように、余計にやる気を失くしてしまうことも多いように感じます。

「コツさえつかめば、誰にでもできる。」

こちらは比較的、1の生徒に多い意見でしょうか?
身体を動かすことに長けているか、理論は深く考えず、身体で覚えることに長けている人でしょう。
逆上がりに限らず、今まで何度きいたかわからない、ある意味、最も精神を傷つける言葉です。できない側からすると、これを言ってくる人達は、大抵のことをこの方法で切り抜けているように感じます。物事の重要なポイントをつかんで、正攻法と多少の差異はあれど、一般的な合格点を取るという、ある意味、一つの能力と呼べる域だと思います。既にそのコツをつかめずに困っているのですから、物事のコツをつかむコツを教えていただきたいものです。さらに言うと、できない人の気持ちや、その原因が理解できていない、自身へのインプットはできても、他者へのアウトプットが苦手ということにもなりますが、できない人が少数である場合が多いので、一般的には、できない人を応援し、励ましてあげている優しい人という評価になるのでしょう。何だか皮肉な話ですが、そうした的を外した応援や、言葉をもらうことで、できない側は(少なくとも私は)、余計にやる気が失われていくわけです。

「やる気が足りないからできない。本気になればできる。」

こちらは比較的、2の生徒に多い意見でしょうか?
2に該当する人口は多いと感じます。精神論の国である日本では、いわゆる「一般的」という風な部分に属することが多いように感じます。確かに、一理あるのですが、大体これを言われる時は、既にやる気を失っている状態にあるか、疲労疲弊により、初期状態の身体の動きがとれない状況下にあります。どちらかといえば、クリアに可能な資質が備わっていながらも、精神的な状態によってできない場合にかける言葉でありましょう。まずは、できない原因の所在を明らかにすることではないかと思います。それをせず、この言葉を発してしまうと、単なる小言のような役割程度しか果たせないのです。

私が逆上がりを克服するには、体重を支えるための筋力を補う必要と、蹴り上げのタイミングをつかむ必要があったのでしょう。そもそも私の場合は、身体を動かすという行為が少なかったので、自分の身体を自在に動かすということに、比較的不慣れだったわけです。ただ、現実的に考えると、逆上がりができない明確な原因を追求し、この生徒には筋力が足りないので、まずは筋力の増強から指導をするということは、学校の時間数では難しいのでしょう。ただ、3の生徒を救済するには、そういったできない原因を明らかにすることが必要と考えます。それを行わず、ひたすらに挑戦と失敗を繰り返すことで克服を目指すという、大味のような教育では、3の生徒を救済しきれないのです。

今後、自力で逆上がりを成功させることは無いと思いますが、逆上がりができない者にとって、少しでも風当たりが優しくなればと思い、ここに記します。