海と宇宙は似ているな、と思う。

そして海と羊水も。
そうすれば人がそれぞれに持つ神殿、

魂を宿したそれからすると、母体は「世界」であり、「全て」であり、「宇宙」なのであろうかと。

デザイナーベビーでありながら期待した結果を得られない絶望と、

神の子として夢を見ることすら与えられない人生。

それはどちらも残酷な現実かもしれない。

もしも私たちが希望することに向かう努力すら否定されたら?
諦めてしまえばそこで夢は潰える。
無論、努力しても
手が届かないこともある。

ただ、ご存知か?
我々が使っている最大限の能力さえ潜在的可能性の僅なものである。
だとしたらある意味データなどでは測れない「未来の可能性」というものがあるのではないのだろうか?

奇跡は起きるのを待つのではなく、

自身が起こすのだ、とでも言われているかのような展開だった。

常に頂点に在るべき存在として生きてきた者が、

セカンド(二位)であったときの絶望と、自棄。
しかし人の命とはデザインして作り出せる時代となっても、

皮肉にもその命を勝手に終わらせることは難しかったのかもしれない。
その反対に長くは生きられず予想寿命が30.2の主人公とは何もかもが対称的だと言えた。



ガタカ。
これも私の記憶には検索した覚えはないのですが足跡がついていて、

ああ、またお知らせかと観てしまいました😅💧

これから観たいと思っている方もおられるかもなので詳細は書きませんが、

人間なんて、実際の目に見えた能力だけじゃなく、その眠っている能力を拓いたらとんでもない大逆転劇も起こすし、

そのまた逆にどんな優秀な能力者でもその環境や欲望などによっては暴力的で悪魔のような所業すらなんの感情の持たず成し得てしまう。
だから先天的なもの、後天的なもの、そういった個人の全ての歴史や背景全部を引っ括めたものがその先を作り、

希望とたゆまぬ努力の向こうの新世界に「夢」を乗せて旅立つのでしょう。

私たちが肉体という器を与えられて、この世界を生きることを決めて生まれてきたこと。
そして「生きる」とは「死」という終着点に向かっていて、
「死」は、誰にも等しくいつかはやって来るもの。

だからこそ毎日をどう過ごすのかが大事なのかもしれません。

今日は昼と夜の世界が半分で、

陰陽、あの世とこの世の扉が開くと考えられてるのですね。
浄化の雨雪ですが、
今日に限らず命を繋いでくれた御先祖さまにはいついかなる時でも感謝の念を持って手を合わせてみてはどうでしょうか?✨