友人に変わった症例を持つ人間がいる。
いきなり連絡がないと生死の境をさ迷い、
時にチューブだらけに、
時に光を失い、
それでもどうにか帰りつき、
生きながら迷い、傷ついてるのだが、
半年連絡が取れず今度こそはと思っていたら復活。
もう10年以上対面してないが、
また連絡を取り合うようになった。
基本的におうちが裕福なので本来は働くこともしなくて良いのに、
何故か働こうとするのですが、←そして突然倒れる
それが無給のものもあって私ともう一人の自由人は唖然とした。
自由人こと自由業の彼女は言った、
無給にした時点で、
それは仕事じゃない。
頼まれると嫌と言えない性格は分かるが、
タダならやって、
とか、
友達からお金取るの?とか言うヤツはてめえが言うほど友達じゃないよ!
と。
せれちん、どう思う?
と問われて、
世の中には等価交換の法則があって、
何か得たいと思ったら、
その分何か渡さないと、
後でどのみちそのツケを払う羽目になる。
とくに目に見えないサービスなどに重きを置けない人たちは唯物主義の拝金主義のことが多い。
当然お金は必要ですけど、
人から何らかのサービス提供を受けたいと思っているのに、
それに際して自身が何も出さない人は感謝の気持ちも、次元の高さもないです。たとえ預金通帳の中身が沢山でも、
こういう人たちは人から吸い取っても、エネルギーを回さない、
ある意味周りの運を落とす貧乏神です。
心の豊かさがないのです。
すると、当人が言いました。
「承認欲求なのかなあ。頼まれると断れないし、嬉しいの」
そうかもしれない。
けど、具合が悪いとこなどこれっぽちも見せないこの子のことをちゃんと分かっていたらタダで頼むよ何て言えないと思う。というか、
そもそもタダならってヤツは高飛車乞食ですよ!(; ・`ω・´)
色々言いたいことはあったけど、
「仕事してないと役立たずだなんて思うな?
お前はそうしてそこに在るだけで充分意味がある、
人をしあわせにしている、
それを覚えておいてくれ。
分かったな?」
そこには皆、本音しかなかった。

いきなり連絡がないと生死の境をさ迷い、
時にチューブだらけに、
時に光を失い、
それでもどうにか帰りつき、
生きながら迷い、傷ついてるのだが、
半年連絡が取れず今度こそはと思っていたら復活。
もう10年以上対面してないが、
また連絡を取り合うようになった。
基本的におうちが裕福なので本来は働くこともしなくて良いのに、
何故か働こうとするのですが、←そして突然倒れる
それが無給のものもあって私ともう一人の自由人は唖然とした。
自由人こと自由業の彼女は言った、
無給にした時点で、
それは仕事じゃない。
頼まれると嫌と言えない性格は分かるが、
タダならやって、
とか、
友達からお金取るの?とか言うヤツはてめえが言うほど友達じゃないよ!
と。
せれちん、どう思う?
と問われて、
世の中には等価交換の法則があって、
何か得たいと思ったら、
その分何か渡さないと、
後でどのみちそのツケを払う羽目になる。
とくに目に見えないサービスなどに重きを置けない人たちは唯物主義の拝金主義のことが多い。
当然お金は必要ですけど、
人から何らかのサービス提供を受けたいと思っているのに、
それに際して自身が何も出さない人は感謝の気持ちも、次元の高さもないです。たとえ預金通帳の中身が沢山でも、
こういう人たちは人から吸い取っても、エネルギーを回さない、
ある意味周りの運を落とす貧乏神です。
心の豊かさがないのです。
すると、当人が言いました。
「承認欲求なのかなあ。頼まれると断れないし、嬉しいの」
そうかもしれない。
けど、具合が悪いとこなどこれっぽちも見せないこの子のことをちゃんと分かっていたらタダで頼むよ何て言えないと思う。というか、
そもそもタダならってヤツは高飛車乞食ですよ!(; ・`ω・´)
色々言いたいことはあったけど、
「仕事してないと役立たずだなんて思うな?
お前はそうしてそこに在るだけで充分意味がある、
人をしあわせにしている、
それを覚えておいてくれ。
分かったな?」
そこには皆、本音しかなかった。
