そういう唄があるのを知っている人たちはどれくらい居るだろうか?

今このようなネットを見るような世代では、しあわせなことに殆どはこの戦争を知らない子供たちなのではないだろうか。
かく言う私も当然戦争を知らない。

ただ、その体験をしてきた世代との接点がギリギリにある世代と言えよう。
良くも悪くも、風化させてはならないことがある。
見聞きし、相手の意見をそのまま鵜呑みにするだけではなく自分の頭で、心で考える。
そういう大事さがある。

そういうせいか、国の内外問わず軍人、警察官と言った事によっては人との戦闘がある職業柄の人たちと何かと縁がある。
その時に彼らが私に語る言葉は、プロフェッショナルだからこその苦悩と人間としての良心に満ちあふれている。

アメリカの南北戦争のときの文献を読んでいて興味深かったことがある。
兵士の殆どが実弾の発射をギリギリまでしたがらず空砲を撃ち鳴らしてごまかしていたという統計(実際に自分に危機がおとずれたときには撃ったのだが)

この話をしたときに、

「せれちゃん、それは、人間というものは基本的に人間を殺すのも、人間に殺されるのも怖いと思うということでしょ?」

と、現役の大佐にしみじみと言われたこと。
怖いという言葉を彼は間違っても自身の同僚やましてや下士官、さらに同性の前では絶対に使うことはないだろう。

そういった意味で、最近は自分の性別が女であることも悪くはないと思った。

つまり、ある意味良い意味で彼らが隙を作っている=リラックスしているのだから。

話は逸れたが、

人とは基本的には死にたくないもの。
故に命を奪うのも、
奪われるのも、
嫌なことなのだ。

それを理解しなくてはならない。

ただ、私もなにか大事なものを守る為には命を懸けるだろう。
争いに、

必ず理由はあって、

そうして人はきっと何かその人の大事な人のため、
思想のため、
戦ってきたのだと思う。