と、そのご年配のお客様は言った。

すごく嬉しそうに言うものだから、

言われたこちらがなんだか泣きたくなってしまった。

場所柄おいでになるお客様は平均的に富裕層なのだと思われる。
お一人で毎日必ずおいでになるおばあちゃん。

買い物をして、その時に会話することを楽しみにしているように見える。

孤独を癒すのはちょっとした笑顔、

なんてことのない会話。

なんとなくそう思える。
だから実際売上に繋がることであろうが繋がらないことであろうが、せれはお客様との会話が好きだ。

普通に目線を合わせて、微笑んで、ご要望を聞きつつこの人に一番いいものはなんであろうかと考える。
そうしたら、

「おねえさん、あんたは本当に優しいねえ、優しいねえ…」

と、とても嬉しそうに呟かれたのだ。

今は街を歩いていても自分の世界に区切ってしまえる世の中だ。
イヤホンで耳をふさぎ、スマホの画面に没頭している。

隣に居る人間のことなど存在してないかのように。

こんなに人口密集していて、それはもう、無理じゃないかな?
互いに少しずつ相手を思いやれれば、あまり嫌な思いをせずに済むかと思う。

自分さえ良ければでいけるほど都会は楽じゃないと却って言いたい。

江戸仕草じゃないけど、見知らぬ者同士互いを気遣うことで摩擦を減らす。
そういうもんじゃないのかな?

今はそをな時代じゃないと知ったようにうそぶくのは誰にも出来るが、人間、どんな技術の発展をしてきても、

基本100年前の人間と大差は無いはず。

つまり大事なことはそうそう変わらないと思うのだ。

さて、少し?大分?(笑)話がズレたけど、

仕事で、しかもお客様からそんなふうにしみじみと喜ばれて、

嬉しいより先に今は相手の言葉に自身の必要不必要だけで機械的に返してしまう人が多いのだろうかと哀しくなった。

例えて言うなら、取り扱いのない商品をお求めになられた時に、

「ないです」

とサッパリこたえて自分の仕事に戻ってしまう。
いや、確かに無いものはないのだから致し方ないのだが、その言い方一つにも色々あってよかないだろうか?

取り扱いない=売上にならない=時間の無駄

のように思われるくらいのごく薄対応だと言葉遣いがどんなにお上品でも薄情にみえる。
別にそこに情の有無を乗せなくてもとお思いかもしれぬが、

簡単に言うなら例え薄情であろうとそれを相手や周りに透いて見させないのがマナーだと思うのだ。

おばあちゃんの黒くてつぶらな瞳がうっすら涙の膜を張っていて、

日本人よ、もっと周りの人間に興味を持つべしとしみじみ思った。